金藤英夫金藤 英夫[1][2](かねとう ひでお、旧姓・石橋[3]、1886年(明治19年)2月6日[2][4] - 1977年(昭和52年)10月27日[5])は、日本の実業家、政治家。金藤家第12代当主[5]。 経歴島根県簸川郡平田町(のちの平田市、現・出雲市)生まれ[4][6]。石橋孫八の五男[2][4][6]、あるいは八男[5]。石橋正彦の弟[1][7][8]。金藤秀四郎の養子[4]、あるいは金藤米太郎の養子[8]となる。また金藤シミの入夫となる[7]。 松江中学校、第五高等学校を経て[5]、1913年に東京帝国大学法科大学独法科を卒業[1][2][3]。米子製鋼所支配人、米子銀行常務取締役[2][4]、赤江村長[5]などをつとめる。 人物金藤英夫ついて、『商工資産信用録 第28回』には「職業・雑、調査年月・1927年8月、正身身代・O、信用程度・B」とある[9]。 『商工資産信用録 第33回 中国四国版』には「職業・雑、調査年月・1932年7月、正身身代・P、信用程度・B」とある[10]。 『商工資産信用録 第38回 中国・四国版』には「職業・銀行重役、調査年月・1937年7月、正身身代・N、信用程度・A」とある[11]。 宗教は真宗[4]、仏教[8]。書画、骨董に親しむ[8]。趣味は運動、政治[4]。住所は島根県能義郡赤江村東赤江[4](現・安来市)。 家族・親族
脚注
参考文献
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