野村達雄
野村 達雄(のむら たつお、1986年4月16日[2][3] - )は、中国・日本のエンジニア、ゲームクリエイター。Niantic, Inc. Tokyo Studio代表。 GoogleマップやPokémon GOなど実験的なモバイル・アプリケーションの開発に携わる。中華人民共和国黒竜江省生まれ[3]、長野県長野市出身[3][4]。 人物・経歴幼少時の名前は石磊[2]。中国で、両親及び4人の姉と、土と藁でできた家に住み、主食がトウモロコシ粥という極貧の生活を送り、豆腐の行商についていた[5][6]。内祖母は福井県小浜市出身の中国残留日本人[6]。満州国に渡り、南満州鉄道職員との間に3人の子供をもうけたが、ソ連対日参戦及び関東軍撤退のため引き揚げできず、日本の降伏後、子供との死別を経て、中国人である内祖父・石相臣に助けられた[6]。晩年は癌を患い、1973年に福井に帰郷して死去した[2][6][5][7]。 よりよい生活を求めて9歳のとき親戚を頼り一家で来日し、1995年練馬区の小学校に編入。1997年、長野市に移住[2][5]。姓は祖母の野村とし、名は日本語の教科書の登場人物にちなみ達雄とした[6]。当初は日本語も話せなかったが、建設現場や豆腐工場で働く両親のもと、小学校時代から新聞配達等をして働き、長野東部中学時代に新聞配達で貯めた資金でパソコンを購入し、独学でプログラミングを習得[2][8]。その後、長野吉田高校を経て、信州大学工学部に進学[2][8]。信州大学4年の時に日本国籍を取得[2]。信州大学卒業後は、東京工業大学大学院に進学し松岡聡の指導のもとスーパーコンピュータの研究を行い高い評価を受ける。「ステンシル計算を対象とした大規模GPUクラスタ向け自動並列化フレームワーク」により情報処理学会2011年度コンピュータサイエンス領域奨励賞受賞[9][3][1]。 2011年東京工業大学大学院理工学研究科数理・計算科学専攻修士課程を修了し、同年グーグル株式会社(現グーグル合同会社)に入社。2013年からGoogle Inc.に移り、2015年から社内ベンチャーNiantic Labsに所属。同年Niantic, Inc.に移籍。同社プロダクト部門シニアマネージャー、Pokémon GOのプロダクトマネージャー等を務める[3][2][1][10]。2018年Niantic, Inc. が初の米国外開発拠点として設立したTokyo Studioの代表に就任[2][11]。 Googleのエイプリルフール企画において[3]、エンジニアとしてファミコン版Googleマップ8bit(2012年)、Googleマップ宝探しバージョン(2013年)、ポケモンチャレンジ(2014年)などを開発[3]。2015年にGoogleからNiantic, Inc.へ移籍し[3]、ゲームクリエイターとしてPokémon GOの開発・運営に携わる[3]。 2021年4月に京都芸術大学3年次に編入学し、建築デザインを学んでいる[2]。 著書
参照
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