酒井忠彰
酒井 忠彰(さかい ただあきら)は、江戸時代末期の大名、明治時代の日本の政治家、華族。位階爵位は正四位子爵。 雅楽頭系酒井家支流9代目で、上野伊勢崎藩の第9代(最後)藩主、初代(最後)知藩事、貴族院議員を歴任。 経歴嘉永元年(1848年)9月3日(または嘉永5年(1852年)10月13日[1])、第7代藩主・酒井忠恒の八男として生まれる。兄で第8代藩主の忠強の養子となり、慶応4年(1868年)6月25日に忠強が隠居したため跡を継いだ。 明治2年(1869年)6月22日、版籍奉還により知藩事となり、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で免官となる。明治17年(1884年)7月に子爵となる。明治20年(1887年)に正五位に昇進し、明治23年(1890年)7月10日には貴族院議員となる[2]。明治25年(1892年)7月には従四位となり同年7月31日に死去した。 一説に忠強との年齢差からみて、忠彰は忠強の実子ではないかとも言われている。 栄典家族父母 妻
子女 注・出典参考文献
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