都営バス江東営業所
江東自動車営業所(とえいバスこうとうじどうしゃえいぎょうしょ)とは、東京都墨田区江東橋4丁目に所在し[1]、都営バス路線のうち江東区、墨田区、中央区などを運行する路線を担当している営業所である。 最寄り駅は錦糸町駅、最寄りバス停留所は江東車庫前である。 営業所記号はL。ナンバーは足立である。 かつては今井支所を管轄下に置いていたが、1971年3月に初代江戸川営業所(現・臨海支所)の管轄に変更された。所管路線のうち都04系統のみ営業所からやや離れた都心部を運行し、主力路線の都07・東22系統は1972年(昭和47年)11月に廃止された都電錦糸堀電車営業所管轄路線の代替バスとして開設されたものである。 営業所の上層階は墨田区立きんし保育園と都営江東橋四丁目アパートが置かれ、この都営アパートの半地下部分をバス車庫に割り当てる構造である。また、車庫の半地下部分には車両移動用のトラバーサーやターンテーブルも存在していたが、現在は跡が残るのみとなっている。営業所が墨田区に所在する為ナンバープレートは江東ナンバーでなく足立ナンバーとなる。 沿革
現行系統都07系統(グリーンスター)
錦糸町駅を起点として京葉道路を走行、亀戸駅通りから明治通りに入り、日曹橋から永代通りを経由して門前仲町に至る、江東営業所の主力路線のひとつである。1日当たりの輸送人員数は、全都バス系統中1位である。 都電第7次撤去により廃止された38系統(錦糸堀車庫前 - 門前仲町 - 日本橋)の代替バス錦14系統として1972年(昭和47年)11月12日付で運行を開始した。永代通り上の東陽町駅 - 門前仲町間は東西線と並行している。沿線には深川不動堂(不動尊前)や富岡八幡宮など、江戸時代から多くの参詣客を集める寺社がある。富岡八幡宮においては夏に3年に1度、例大祭が行われ、実施時は永代通りで交通規制されるため、運転区間を錦糸町駅 - 木場駅に変更[3]のうえ運行される。 錦14系統の開設までは都電38系統が当地域における重要な交通手段であったが、東京都の都電撤去の方針に伴い、まず1971年(昭和46年)の第6次撤去で日本橋 - 門前仲町間を短縮し、翌年には代替バスとして錦14系統が設定された。当初は葛西営業所担当で、後に境川操車場までの区間便や葛西車庫への出入便が設定される。葛西営業所はこの路線を主に受け持つために開設された車庫であり、2004年に江戸川営業所へと改称されるまでは江東区内が主な営業範囲だった。 →詳細は「都営バス江戸川営業所 § 都07系統(グリーンスター)←錦14系統」を参照
1992年3月31日には錦14系統が都市新バス化のうえ都07系統「グリーンスター」に生まれ変わった。白鳥座と天の川をイメージしたヘッドマークが取り付けられ、方向幕を青に変更、車両のグレードアップやバスロケを導入するなどして、バスを利用しやすい体制が整えられた。その後もリフト付きバス(1995年)、ノンステップバス(1998年)が早い時期から導入された。 運行開始以来、江東営業所が錦糸町駅至近にありながら全便が葛西営業所の担当で、錦14系統から都07系統への変更時にも移管されなかったが、2003年4月の改正時に葛西営業所と江東営業所の共管となる。これと同時に境川操車場が閉鎖され、葛西車庫行も最終便のみの運行となった。その後、2004年3月に江東営業所の単独管轄となり、錦糸町駅や門前仲町からの葛西車庫発着便も全廃された。その際、錦糸町駅からの葛西車庫行き最終便は、明治通り周辺や東砂・葛西橋方面への帰宅の足として重要な役割を担っていたことから、臨海支所が受け持つ両28系統による第六葛西小学校(江戸川営業所の至近)行として運行されるようになった。この便は葛西車庫行最終便の名残で、錦糸町駅前では都07系統と同じ乗り場から発車する。 →詳細は「都営バス臨海支所 § 両28系統」を参照
錦18・急行05・直行03系統
平日運行の錦18系統と土曜・休日運行の急行05系統が存在し、両系統は錦糸町駅から京葉道路・明治通りを都07系統と同じルートで日曹橋まで、その先は直進して新木場駅へ向かい、急行05系統はさらにお台場方面を日本科学未来館へ向かう。急行05系統の愛称は「江東区城東シャトル」。両系統とも当初は深川営業所の管轄だったが、2005年4月に江東営業所へ移管されている。新木場駅停留所は錦糸町方面が明治通り上、お台場方面はロータリー内となっている。また、錦18系統の錦糸町方面は、新木場駅ロータリー内を発車すると次は明治通り上の新木場駅停留所に停車する[6]。 錦糸町駅と新木場駅を結ぶバス路線は、「ホリデー路線」として1990年3月に設定された夢01系統(錦糸町駅 - 夢の島 - 新木場駅)に端を発する。夢01系統は休日のデータイムのみの運行であった。さらに運転区間に夢の島などはあるものの、利用客はそれほど根付かなかった。 2000年12月12日の都営地下鉄大江戸線開業に伴う路線バスの再編時に、新たなバスサービス「ラピッドバス」のひとつとして、夢01系統を延伸したうえで急行05系統・錦糸町駅 - 新木場駅 - 東京テレポート駅とし、土曜日の運行も開始された[7]。この結果、鉄道では乗換えが不便であるお台場まで直行できる利便性により、利用者は大きく増加した。 2002年12月には平日のみ運行で江東区を南北に結ぶ新木場駅発着の錦18系統が設定される。急行05系統とは対照的にこちらは平日運行であることから特に通勤通学路線の役割が高くなっている。設定当初は朝夕のみであったが、2004年4月以降は日中にも時/1本程度ではあるが運行されるようになり、以後も朝夕を中心に増便されている。 急行05系統としての延長は成功を収め、総武線や都営新宿線などの駅から乗り換えなしで手軽にお台場まで行ける利便性で好評を博してきた一方で、パレットタウンや東京テレポート駅の周辺などお台場地区では道路渋滞により定時運行が困難になっていた。こうしたことから、2005年4月には江東営業所に移管されると同時にテレコムセンター駅へ延長され、大江戸温泉物語や日本科学未来館などへのアクセス強化が図られた一方で東京テレポート駅には寄らなくなる。このとき、錦18系統も合わせて江東営業所に移管されている。その後、急行05系統は2007年3月に終点を日本科学未来館の構内に変更した。 錦18系統の一部便は陽20系統の間合いとして運転され、江東営業所から出庫した錦18系統新木場駅行きに入った後に東陽操車所へ回送され、さらに東陽町駅から陽20系統東大島駅行きとして営業運転に入る便もある[8]。 陽20系統東陽町駅から江東高齢者医療センターを経由して東大島駅に至る路線である。当初は東陽町駅から江東高齢者医療センターへのアクセス路線として開業した。それまでは東陽町駅から江東高齢者医療センターを循環して東陽町駅に戻る路線だったが、2009年4月1日、東大島駅まで路線を延長した。 FC LED車で表示される路線カラーは紫。 亀21系統この路線は、亀戸駅から比較的新しく開通した丸八通りを南下し、東砂地区を経由したのち西へ進路を変え、東陽町駅に至る。袖ヶ浦から先においては狭隘道路を走行しており、この通りで祭事が行われる際などには迂回を行う。この路線は、管轄が深川営業所と江東営業所の間で何度か変わっており、現在は江東営業所が担当である。 過去[いつ?]には大島駅で都営バスと都営地下鉄との普通運賃において、乗継割引実証試験が1年間試行された。しかしその後は継続されず、現在では他の系統も含め普通乗車券における乗継割引は実施されていない。 →「都営バス深川営業所 § 東21系統」も参照
東22系統錦糸町駅を起点として四ツ目通りを走り、東陽町駅からは永代通りを経由して東京駅に至る江東営業所の最主力路線のひとつ。都電第7次撤去により廃止された28系統(錦糸町駅 - 都庁前線)の代替が当初の目的だったが、都電時代末期からJR総武線と東京メトロ東西線を結ぶ鉄道短絡輸送の意味合いが非常に強くなり、バス化後は半蔵門線、都営地下鉄新宿線も開業して強化された。 年間収益は全都バス系統中1位、営業係数も品川営業所の品99に次いで全都バス系統中2位となっている。 →詳細は「都営バス品川営業所 § 品99系統」を参照
錦糸町駅と東陽町駅の間は日中でも5、6分毎の間隔で運行されているものの[12]、東陽町駅以西は東西線や門前仲町までは明治通り経由の都07が存在するため、1時間に2 - 4本程度が運行されるのみ。正月三が日期間においては臨時ダイヤが組まれ、錦糸町駅 - 門前仲町の運行が増発される[13]。また、3年に1度開催される富岡八幡宮例大祭では、時間帯によって門前仲町付近での迂回運行や東京駅 - 茅場町、木場駅 - 錦糸町駅に分けて運行される[3]。FCLED車にて表示される路線カラーは青。 門33系統
亀戸駅から押上、都営両国駅、森下駅、門前仲町を経て豊海水産埠頭に至る路線で、明治通り、浅草通り、清澄通りを走る。都電第7次撤去により廃止された23系統(福神橋 - 月島)の代替系統として1972年11月に設定された。当初は晴海埠頭発着便も設定されていたが、1978年11月に廃止、豊海水産埠頭発着に一本化された。2000年12月12日に都営大江戸線が開業すると、都営両国駅 - 勝どき駅間で完全並行することとなり、大幅な減便の上、両国駅 - 豊海水産埠頭間の折返し系統が廃止となっている。 また、1990年11月には、墨田区役所がリバーピア吾妻橋に移転すると同時に墨田区役所 - 豊海水産埠頭間の折返し系統が設定されたが、1992年7月に廃止されている。 江戸川競艇バス江戸川競艇場の無料シャトルバス。以前は臨海営業所との共同運行だったが現在は江戸川営業所との共同運行である。一時期は巣鴨営業所も担当していた時期がある。[要出典] →詳細は「都営バス § 江戸川競艇関連」を参照
廃止・移管系統直行02系統(ダイレクトバス)
本路線の母体は初代・東16系統(東京駅南口 - 勝どき五丁目、深川担当)だが、朝夕のみの運行だった。そのため、直接的な路線としては銀86系統(渋谷駅 - 豊海水産埠頭、渋谷担当)と初代・東16系統を1982年(昭和57年)の交通局第3次再建計画による路線再編成で統合した銀16系統が本系統の前身である。同路線は1988年3月21日に都03系統(銀71系統から改称。当時は杉並担当)と共に都市新バス化され、都04系統「グリーンアローズ」となった。グリーンアローズの各系統は路線の重複区間が多いため、誤乗車を防止する目的で方向幕にそれぞれ別の色を施しており、本路線の方向幕は深緑色。都市新バスで青色以外の方向幕は本路線が初めてとなった。 運行区間としては初代・東16系統を、運行回数は銀86系統を受け継いでいる。銀86系統は都電9系統の代替として開設された路線で、末期には豊海水産埠頭から虎ノ門までの区間便が増えていた。 2000年12月の大江戸線全線開業時には本数が若干減少するも、その後は勝どき駅周辺の再開発が進展し、オフィスへの通勤需要、高層マンションの居住人口の増加により、銀座・有楽町・東京駅へ直結する利点が認識されたことから、2007年に再度増便されている。この間、2003年4月に江東営業所から深川営業所へ移管されたが、2009年4月1日には再び江東営業所の担当に戻ると同時に朝の東京駅方面と夕方の豊海水産埠頭方面に設定されていた勝どき五丁目経由便が廃止となった。その後、豊海水産埠頭(豊海町)→勝どき五丁目→勝どき駅の区間には江戸バスの南循環線が運行されている。 →詳細は「中央区コミュニティバス § 南循環」を参照
江東営業所への再移管後は基本的に全便がハイブリッド車で運行されるようになったが、稀に非ハイブリッド車で運行されるケースもある。2018年4月1日に都04の急行便として、直行02系統が開設された。直行系統に限り、東京駅の発着が八重洲口となっている。八重洲口バスターミナル内には乗り入れず、外堀通り上のバス停での降車となる。 2022年4月より都04系統は有明営業所の単独運行となった。直行02系統は引き続き江東営業所が管轄となる。 2024年3月29日の運行をもって直行02が廃止された。[15] 都04系統(グリーンアローズ)
速達系統である直行02は引き続き江東営業所が管轄となる。(その後2024年3月をもって廃止) 深夜08系統
1989年6月19日、錦糸町駅から東砂・大島駅周辺を循環して錦糸町駅へ戻る経路で新設された。半年後に亀戸駅(ターミナル)へ立ち寄るルートに変更を行ったり、都営新宿線と重複していた大島駅や東大島駅を経由しない経路へ変更したが、他の深夜バスに比べて乗客数が伸び悩み、1996年1月4日に廃止された(最終運行は1995年12月)。廃止後、城東地区の深夜バスは長らく設定されておらず、2016年4月1日に開設される深夜12系統を待つこととなる。 ちなみに、同経路(亀戸駅通り経由)で東砂団地まで行く錦28系統が設定されていた。これは、深夜08系統が経路変更されても一貫して錦糸町駅 - 亀戸駅 - 東砂団地で設定され続ける。錦28系統は葛西営業所(1990年7月までは臨海営業所)の管轄であるが、この便と深夜08系統は江東営業所が担当していた。深夜08系統廃止後は錦28系統(本線)に編入され、通常の錦28系統と同経路で東砂団地行き最終バスに変更されるとともに、通常の錦28系統と同じく葛西営業所の運行となった。なお錦糸町駅と亀戸駅から境川・東砂方面へは都07・草28系統の葛西車庫行、後の両28系統・第六葛西小学校行が深夜時間帯の帰宅の足を担っている。 →詳細は「都営バス江戸川営業所 § 錦28系統」、および「都営バス臨海支所 § 両28系統」を参照
錦11系統
1971年(昭和46年)3月の都電第6次撤去で廃止された36系統の代替としてスタート。2005年(平成17年)4月1日付けではとバス委託路線化、臨海支所へ移管となった。ただし、臨海移管後も江東営業所で乗務員が食休を取る便がある。 →詳細は「都営バス臨海支所 § 錦11系統」を参照
東20・東22乙系統
東京都現代美術館の開館に合わせ、アクセス路線として2001年(平成13年)7月20日付で新設。2005年(平成17年)4月1日付けではとバス委託路線化、臨海支所へ移管となった。 →詳細は「都営バス臨海支所 § 東20系統」を参照 東22乙系統は日本アイ・ビー・エム箱崎事業所の開設に伴い、1989年(平成元年)4月10日に開通した路線で、同年12月15日には土休日のみ運行の東22丙系統が設定された。当初は巣鴨営業所を主管に千住・江東の3営業所体制での運行だったが、1993年3月の東22丙系統廃止と同時に江東営業所が撤退、千住営業所も1996年に撤退し巣鴨営業所の単独となった後、2000年12月に江東営業所に復帰した。その後、はとバス委託化により2008年4月1日付けで臨海に移管、同時に東20系統に編入され東20乙系統となったが、東京メトロ東西線茅場町駅と半蔵門線水天宮前駅が徒歩圏であるとして2012年(平成24年)3月31日限りで廃止された。 →詳細は「都営バス臨海支所 § 東20乙系統」を参照
急行06系統江東区から委託を受け、交通局が運行する路線で土休日のみの運行。愛称は「江東区深川シャトル」。2005年(平成17年)7月17日に新設され、2012年(平成24年)4月にはとバス委託の上、臨海支所へ移管された。 →詳細は「都営バス臨海支所 § 急行06系統」を参照
錦13系統
本来は深川営業所の路線だが、2005年7月から一時共管となった時期がある。しかし2009年3月31日をもって深川営業所の単独に戻された。 →詳細は「都営バス深川営業所 § 錦13系統」を参照
亀23系統
2001年(平成13年)8月に旧葛西営業所の所管で新設。2004年(平成16年)3月29日付けで移管されてきたが、2014年(平成26年)4月1日をもって江戸川営業所に再移管された。 →詳細は「都営バス江戸川営業所 § 亀23系統」を参照
錦27系統
元々は、京成バスと相互直通系統の100番台の128系統として、小岩駅前~新橋駅前間で運転されていた。 乗用車の発達で都心部の渋滞が激しくなってきたことと、国鉄総武線の輸送力増強で採算が悪化し、1970年(昭和45年)に並走していた107系統が廃止。さらに1974年(昭和49年)8月15日限りで新橋駅前~箱崎町間が廃止になり、系統番号も錦27系統に変更される。 →「総武快速線 § 通勤五方面作戦」、および「中央・総武緩行線 § 混雑率の推移」も参照 その後は小岩駅前 - 箱崎町間で京成との共同運行を継続し、2度の大規模な路線再編成も乗り切ってきたが、京成電鉄奥戸営業所管内の路線再編成に伴い、1996年(平成8年)に京成が小松川警察署以西を廃止、都営も箱崎町と両国駅の間を廃止した。この時、京成は系統番号を小74系統小松川線とし、共同運行が解消された。 →詳細は「京成バス奥戸営業所 § 小松川線」を参照 開通以来、初代江戸川営業所→臨海営業所が担当していた一時期を除きずっと江東営業所が担当してきたが、2005年3月に旧葛西営業所の系譜を引き継いだ2代目の江戸川営業所が参入して共管となり、その後2009年4月に全便が江戸川営業所の担当となった。なお京成の小74系統は後に分離子会社の京成タウンバスに移管、現在も運行されている。 →詳細は「都営バス江戸川営業所 § 錦27系統」、および「京成タウンバス § 小松川線」を参照
上26系統
元無軌条電車(トロリーバス)101系統で、その前は都電26系統、25系統の一部である今井~東荒川、西荒川~亀戸駅前の区間に無軌条電車独自の亀戸駅前~上野公園の部分がつなげられてできた系統であった。城東電気から続く古い路線であった。 無軌条電車の廃止に伴い、今井無軌条電車営業所は江東営業所に吸収されて江東営業所今井支所となった。その後、今井支所の上部組織が江東から(初代)江戸川へと変更されてきたが、そのまま上26系統を担当した。1987年5月には今井支所と初代江戸川営業所を統合のうえ臨海営業所(現・臨海支所)が発足、上26系統も臨海の担当となった。 →詳細は「都営トロリーバス § 営業路線」を参照
しかし交通量増大により、長距離路線では定時運行が難しい状態になったため、1990年(平成2年)7月に亀戸駅前で分割される。上26系統は大塚営業所(現・巣鴨営業所)と巣鴨営業所の共管で、上野公園~亀戸駅前の運行に改められた。大塚営業所では、当路線の入出庫を兼ねる意味も含め、当時担当していた茶60系統を、御茶ノ水駅から上野公園に起終点を変更し、池袋駅東口へ行く便も減らして主に大塚駅前の発着とした。その後、1999年(平成11年)3月に巣鴨営業所担当分を江東営業所に、2007年(平成19年)3月には大塚営業所担当分を南千住営業所へと次々に移管されてきた。分割後も乗客は伸び悩んだため、 2009年(平成21年)4月にははとバス委託路線化により南千住・江東担当分ともに青戸支所へ移管となった。現在も乗務員が江東営業所で食事休憩する便が存在する。 亀戸駅 - 今井間は亀26系統として引き続き臨海が担当し、現在はそれもはとバス委託である。 →詳細は「都営バス臨海支所 § 亀26系統」、および「都営バス青戸支所 § 上26系統」を参照 →「都営バス巣鴨営業所 § 上60系統」も参照
上35系統1972年(昭和47年)11月12日の都電第7次撤去で廃止された都電24系統(柳島 - 須田町)の代替として開通したが、上37系統・門33系統と路線が重複し非効率と判断され、交通局第2次再建計画に伴う路線再編成により1977年(昭和52年)12月15日限りで廃止となった。上野広小路 - 須田町間は代替で上37系統を延長するも、これも1982年(昭和57年)12月25日限りで廃止、上野松坂屋発着に戻された。亀戸駅から柳島、押上を経て本所吾妻橋にかけては門33系統を増強して対応している。 →詳細は「都営バス青戸支所 § 錦37系統」、および「都営バス青戸支所 § 上23系統」を参照
15系統
旧江戸川営業所へ移管のうえ、錦25系統となる路線。その後、旧江戸川営業所は1987年(昭和62年)5月に臨海営業所となり、本系統も臨海に引き継がれたが、2004年(平成16年)4月に現江戸川営業所に移管されて現在に至る。 →詳細は「都営バス江戸川営業所 § 錦25系統」を参照
26系統1957年(昭和32年)に洲崎営業所(現・深川営業所)から移管されたが、1972年の葛西営業所開設により移管、系統番号整理で秋26系統となる。後に上野側は秋葉原駅までに短縮されたが、葛西橋側は葛西駅まで延長されて現在の形となる。東京駅へ向かう支線もありこちらは東26系統となったが、1982年(昭和57年)の第3次再建計画で廃止され、秋葉原系統だけが現存している。現在は臨海支所の担当である。 →詳細は「都営バス臨海支所 § 秋26系統」を参照
37系統
(旧)66系統
107系統
1947年(昭和22年)6月、京成電鉄との共同運行路線第1弾として開設。両国橋から国道14号(千葉街道)をひたすら東へ向かう路線だった。国鉄総武線の輸送力増強で採算が悪化し、総武快速線の完成を2年後に控えた1970年(昭和45年)8月15日限りで都営が撤退、廃止となった。京成は市川駅と小松川警察署の間で小74系統小松川線(初代)として存続するが、1979年(昭和54年)頃に廃止。 →詳細は「京成バス奥戸営業所 § 東京線」を参照
516系統
1971年(昭和46年)3月18日の都電第6次撤去で廃止された都電16系統の代替バスで、現在の都02系統の前身。運行開始からしばらくの間は江東営業所も参入していたが、1972年(昭和47年)11月の都電第7次撤去で他の代替路線(東22・門33系統など)を引き受けるに当たり、江東営業所本所が手狭になることから撤退。同時に系統番号を塚20系統に変更のうえ文京区役所 - 錦糸町駅間の区間便も廃止となった。後に都市新バス化や大塚営業所→大塚支所の廃止に伴う巣鴨営業所への移管を経て、現在も都バス有数の幹線として継続中。 →詳細は「都営バス巣鴨営業所 § 都02系統(グリーンライナー)」を参照
車両指定車種:(民生産業→民生デイゼル工業→日産ディーゼル工業→UDトラックス→)指定メーカーなし
終戦直後の民生産業の時代からUDを指定としてきたが、2010年(平成22年)にUDトラックスがバス製造事業撤退を発表したことと交通局の車両調達が入札制に移行したことにより、2008年度を最後に事実上指定がない状態となっている。現在はUDを中心に日野・三菱ふそう・いすゞの車両が配置されている。 かつて在籍していた都市新バス用のE代らくらくステップバス(E422 - 429号車)は都04系統用として導入された車両で、都04系統を深川営業所に移管し、都07系統を受け入れる際に都07系統用となった。これらは1999年2月に一度納車されたが、側面が2段窓で発注内容と異なることからメーカーに返品、改めて製造のうえ同年5月から6月に納車されていた。このため、1998年度の予算で購入されたE代車でありながら1999年5月から全国で交付が開始された新しいナンバープレートでの入籍となっており[17]、なかでもL-E422号車は「足立200か」の登録1号である「足立200か・・・4」となっていた。 一部車両は江東区の観光案内をPRするラッピング車両として運行していた(D216号車、1998年度車(E代)のE422・423・427・429号車以外、F458号車、2003年度車(L代)のL100~102・105・108号車以外)。なお、このラッピング車は2010年(平成22年)7月をもって、全車両にて解除され、通常の姿に戻っている(L105号車は江東区ではなくすしざんまいラッピングで現在も運用)。 都07系統を新たに受け持つ際に葛西から日野・ブルーリボン、新宿からいすゞ・キュービック(A402号車)が転入したが、いずれも置換え予定の旧年式車であったため半年から1年程度で廃車された。その後、2007年度には日野・ブルーリボンII(R595 - 606号車)が配置された。このうちのR595号車はブルーリボンIIの市販第1号車である。その後R599・600・605・606号車が江戸川営業所へと転出(その後、R606号車は、青戸、深川の順に転属)、2015年(平成27年)4月には同型のR623・624号車が江戸川営業所から転入した。2009年2月より日野・ブルーリボンシティハイブリッド(BJG-HU8JLFP)が運行を開始すると江東にも10台(S130 - 139号車)が投入、都04系統の全便で運行することになり、深川から新製間もない同型車(S150 - 153号車)が転属してきた。2009年(平成21年)10月よりいすゞ・エルガ(T204号車。PKG-LV234L2)が配属され再びいすゞ車が配置されることになった。同じく2009年度には2010年(平成22年)1月に日野ハイブリッド(T279 - 281号車)、2010年度は9月に日野ハイブリッド(V297号車。LJG-HU8JLGP)、2011年(平成23年)1月に三菱ふそう・エアロスター(V387 - 392号車)、2011年度は11月から2012年(平成24年)2月にかけてエアロスター(W432 - W441号車)が配置された。なお、V297号車は2013年(平成25年)4月に深川営業所へと転出した。2012年度にはX273・X274号車が配置され(後述)、3年ぶりのいすゞ車となり、江東では開設以来初めていすゞ車の在籍が複数になったが、T204号車は2013年(平成25年)4月に、X273とX274号車は2014年(平成26年)4月にそれぞれ深川営業所へと転出した。その後、2014年度から2015年度にかけて再三にわたりいすゞ・エルガ(Z518~523号車・A647・648・650~658号車)が配置され、江東では初めていすゞ車の配置が10台以上となった。これによりH代のUD・UA272系富士重工車および中型ロング車のUD・JP252系が全廃となり、江東のUD車は西日本車体工業製に統一、同時にLED化率が100%となった。 L108号車のみんくるステッカーは通常柄ではなく、シークレットステッカーとなっている(前面のみ、背面は通常柄)。この車両は2014年(平成26年)4月に北営業所へと転出した。 さらに、2011年の新車のうち、12月分の車両は、クリスマスにちなんだシールを張り付け12月25日まで運用し、そのあと2012年(平成24年)1月に最後の一般塗装車のE425号車が引退する際に専用ステッカーを張り付けて運用するなど、2011年度の車両置換では変わった動きがあった。 さらに2012年度の新車では(X273・X274号車)2台それぞれに背景色が異なる(X273号車は昼、X274号車は夜をイメージ)デビューシールを張り付け約2週間運用した。これは制帽をかぶったみんくるに東京スカイツリーの絵に「江東みんくる」と描かれたデザインのシールであった。 また、X274号車については期間限定シールを通常版シールよりもわずかに小さく作り、その上に重ねて貼ることで黄色いはみ出しを作り、スカイツリー開業前日の金環日食をイメージさせる工夫をさせた。 2016年度は新型エルガが導入され、これに伴いS代の日野・ブルーリボンハイブリッドの一部が青戸や臨海支所に転出している。 2007年(平成19年)、当時早稲田営業所に在籍していたL748号車(現在は北営業所に配置されている)と、当営業所のL100号車で背当て式の車椅子スペースを試行する改造が施工された。
その他すぐ隣が始発ターミナルの錦糸町駅前であるために都営バスの営業所で唯一、本拠車庫発着系統・運用が存在せず、入出庫はすべて錦糸町駅または亀戸駅との間の回送となる(かつて錦13系統を一部管轄していた時、江東営業所担当の深川車庫行きは存在した)。 江東営業所には、上26や錦11系統などで運用される青戸や臨海支所の車両が乗務員の食事休憩(食入)で入庫してくる。かつては上26系統運用の大塚営業所の車両も入庫していた。 脚注
参考文献
関連項目座標: 北緯35度41分47.6秒 東経139度49分4.9秒 / 北緯35.696556度 東経139.818028度 |