道樹寺
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道樹寺(どうじゅじ)は岐阜県美濃市にある臨済宗妙心寺派に属する別格地の寺院である。山号は大仙山。本尊は宝冠釈迦如来。 境内は地方の寺院には珍しく、約1万坪ほどの平地にあり、約3000本のヤマモミジの原生林がある「もみじ谷」のある天王山を背景に散策地として特に春秋の大矢田神社の「ひんここ祭り」の頃はにぎわう。 沿革開山は景聰興勗(けいそうこうきょく)禅師。 開山の勅賜号は大鑑普應禅師。開基は斎藤新四郎利良(美濃国最後の守護代、後に斎藤道三が斎藤を名乗るが美濃の斎藤ではない)が当寺を建立。永正年間(1504-1520)に創建され、開祖の景聰禅師は出生等不詳。岐阜市大智寺開祖の玉浦和尚に投じて剃度(出家)。その後瑞龍寺(岐阜市)の「悟渓和尚に随侍すること一寒暑余なり」と、寺史にあり。和尚滅後、大智寺に帰り専ら玉浦和尚の室に入り宗旨の大事を究明し遂に師の證明を得たり。郡主斎藤利良公(戒名:持是院法印権大僧都岱嵩妙全大和尚)は殊に景聰和尚を崇信し、大矢田郷に寺領として五町八反余の地を与え一宇を建立し師を聘請して開祖とす。師は手ら寺内に道の樹(菩提樹)四株を栽えて道樹寺と号す。師の下に参集修行せし者常に百余人なりと伝う。次第にその会下は近隣寺院の開祖となり大いに禅風を振う。 延宝伝灯録 景聰禅師の主な語録等
駒沢大学図書館所蔵 景聡興勗 (1508−1592) 撰
『禪儀外文集』は臨済宗聖一派の虎関師錬(海蔵和尚、1278−1346)が編集したものであり、宋代の禅僧の入院開堂の疏・榜や尊宿入寂の祭文で模範となる作品を収録している。全体は疏・榜・祭文の三つに分かれ、疏には山門・諸山・江湖・雑疏を、榜には茶・湯を、祭文には山門・諸山・江湖・雑祭をそれぞれ収めている。 エピソードまた景聰和尚は甲斐の恵林寺住職、快川紹喜と書状を以て往来した。快川和尚は景聰和尚を称して西河の活獅子又は大仙仏と讃え、偈頌を送った。 汾陽雪竇老圜悟 これに和して景聰和尚も一偈を寄せた。 開虚空口漫論説 (注)乾徳山。汾陽寺の山号。 参考文献
近代慶安年間(後光明天皇代)泰伝和尚五世住職となり伽藍を整えたが、明和7年(1770年)本堂を焼失。6年後の、安永5年(1776年)に再建され、これが現在の本堂となる。総門は享保年間の建立。開山和尚像は江戸初期の作。阿弥陀如来坐像は室町時代。阿弥陀如来立像は江戸初期の作。 最近(2011年秋)文化庁の奥健夫より阿弥陀如来立像など制作年代が古いことを指摘されている。 外部リンク |
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