通信機 (航空機)通信機(つうしんき)は、かつて存在した、新聞社が取材や原稿輸送などに使用した航空機。1937年(昭和12年)に亜欧連絡飛行を行った朝日新聞社の雁型通信連絡機「神風号」が著名。類似する航空機に取材機がある。 概要遠隔地の情報を迅速に入手するために新聞社が用いた航空機。第二次世界大戦以前の日本国内において通信機とされた機体は、主に海外から輸入された最新鋭機や陸海軍から払い下げられた試作機などであり、速度を重視していたため新聞社の通信機が国内の民間機の中で最速という時もあった。特に、朝日新聞社と毎日新聞社の間では報道合戦の一環として保有する通信機のスピードが競われていた。 通信機の技能通信機は速報性を優先するため、しばしば飛行場のない現場から吊り上げという特殊な方法で写真フィルムや原稿の引き取りを行った。これは地上に立てた二本のポールの間に原稿を吊り、フックを付けた機体を用いて低空飛行で吊り上げるもの[1]で、その反対に原稿を空中投下で引き渡すことも行われた[2]。 日中戦争期には中国大陸で従軍記者が書いた記事や写真フィルムの吊り上げを行った。敵陣近くで低空旋回を繰り返すため敵弾に見舞われることもしばしばあったという[3]。また、新聞社の機体が軍に協力を命じられることもあり、太原攻略戦では朝日新聞社の三菱雁型通信機「朝風」が敵陣営の城内に降伏のビラを散布した。高射機関砲で反撃を受け、翼に大穴を開けた状態で帰還している[4]。 吊り上げが使われた例
主な機体戦前の朝日新聞社は陸軍との結びつきが強く、毎日新聞社は海軍と縁が深かった[8]。日米開戦前の昭和10年代には朝日が主に国産機を通信機として使用していた一方で、毎日は輸入機が中心という傾向があり、国威発揚の一環として盛んに行われた外国への親善飛行に対する逓信省航空局の認可にも影響が及んでいた[9]。
脚注
参考文献
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