近藤勝也
近藤 勝也(こんどう かつや、1963年6月2日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、イラストレーター、漫画家[1]。愛媛県新居浜市出身[2]。長野県在住[3]。 スタジオあんなぷる、スタジオジブリを経て現在はフリー[1]。 人物圧倒的な画力、魅力的な表情、生き生きとしたキャラクターたちの動きでスタジオジブリ作品の輝きを支えるアニメーターの1人[3]。劇場アニメーションを中心に様々な作品に参加し、特にジブリ作品では中心スタッフとして長年活躍[2]。 2Dアニメーションがメインだが、2014年の『山賊の娘ローニャ』ではセルルックの3DCG、2020年の『アーヤと魔女』ではフル3DCGのキャラクターデザインに挑戦している[3][4]。 上品さと色気を感じさせる魅力的な人物描写に定評があり、アニメーションだけでなくCMやゲーム作品などのキャラクターデザインや設定等も手掛ける[2]。そのほか、漫画を連載したり、小説のカバーイラストや挿絵、広告用イラストを描いたりと、多岐に渡る多彩な仕事を行っている[2][3]。 絵だけではなく、作画監督を務めた『崖の上のポニョ』では主題歌の作詞も担当した[1][3]。また、ポニョのキャラクターは近藤の長女がモデルになっている[5]。 最初、安彦良和を好きになり、続いて宮崎駿や大塚康生のファンになって2人が在籍したテレコム・アニメーションフィルムに入ろうとした。 生まれ故郷の新居浜市のふるさと観光大使を務めている[1][3]。 来歴愛媛県立新居浜南高校卒業後、テレコム・アニメーションフィルムの入社試験を受ける。しかし、二次審査で落とされて不採用となり、上京して東京デザイナー学院に入学。 1982年、東京デザイナー学院を中退して出崎統と杉野昭夫が率いるスタジオあんなぷるへ入社する[1][3]。大塚伸治に指導を受けて、テレビアニメ『キャッツ♥アイ』で原画を担当。『マイティ・オーボッツ』で初のキャラクターデザインを担当。 1985年、スタジオジブリの映画『天空の城ラピュタ』に参加するため[注 1]、スタジオあんなぷるを退社してフリーとなる[1][3]。 1989年、映画『魔女の宅急便』で初の作画監督とジブリでは初めてとなるキャラクターデザインを任される[4]。 1990年、スタジオジブリの会社化にともない、社員として入社する。同年、酒見賢一の小説『後宮小説』をスタジオぴえろがアニメ化し、日本テレビで放送された『雲のように風のように』でキャラクターデザインと作画監督を務める。 1991年頃、スタジオジブリで酒見賢一の小説『墨攻』を押井守の監督によりアニメ化する話が持ち上がり、近藤がそのイメージボードを制作したが、企画は実現しなかった[6][7]。 1992年、スタジオジブリを退社してフリーとなる[1][3] 1993年、日本テレビで放送された『海がきこえる』で2度目のキャラクターデザインと作画監督を務める。 2004年、『海がきこえる』で組んだ監督の望月智充と美術の田中直哉と共に、NHK『みんなのうた』「カゼノトオリミチ」のアニメーション制作を亜細亜堂で手がけた。 2007年、NHKで放送された『電脳コイル[注 2]』で約14年ぶりにテレビアニメの制作に参加する。 2008年、映画『崖の上のポニョ』の作画監督を務めたほか、主題歌の作詞も手がける[1][3]。 2011年、映画『コクリコ坂から』でキャラクターデザインを担当[1][3]。 2012年7〜8月、愛媛県の新居浜市立郷土美術館で「ジブリの動画家 近藤勝也展」を開催[9]。 2018年7〜9月、愛媛県新居浜市のあかがねミュージアムで「ジブリの動画家 近藤勝也展」を開催[10]。同年7月、新潟市中央区の新潟県立万代島美術館で、出身地の愛媛県以外では初めてという「ジブリの動画家 近藤勝也展」を開催[11][12]。 2022年11月12日17時よりディズニー公式動画配信サービスDisney+にて配信開始されたスタジオジブリとルーカスフィルムのコラボショートムービー『禅 グローグーとマックロクロスケ』の監督を担当[13][注 3]。 参加作品テレビアニメ
劇場アニメ
ショートフィルムOVA
Webアニメテレビ番組
ゲーム
CM
出版物漫画
画集・絵コンテ集
挿絵・イラスト
展覧会2012年7月20日 - 8月26日、新居浜市制75周年記念事業として、新居浜市立郷土美術館にて特別企画展「ジブリの動画家 近藤勝也展」が開催された。展覧会では、幼少期の作品からスタジオジブリ最新作『コクリコ坂から』までの背景画、セル画、絵コンテ、タイムシートなど、日本初公開作品も含む200点以上の作品が展示された。近藤が新居浜市出身であり、また同市のふるさと観光大使を務めていることから実現したものである。開催初日にはオープニングセレモニーが行われ、近藤本人も出席した。 脚注注釈出典
参考文献
外部リンク |
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