近文コタン(ちかぶみコタン、アイヌ語: チカプニコタン)は、明治期にアイヌ保護のモデル地区として現北海道旭川市緑町15丁目付近に設置されたアイヌの集落、部落[1]。
成立
明治20年(1887年)、北海道庁初代長官の岩村通俊がアイヌの保護をうたい、旭川村と鷹栖村の間に位置した近文の地に、永山、当麻、比布などに点在していたコタンをまとめるという政策を打ち出し、これを受けて、タナシ(現当麻町)在住のペニウンクㇽ(上川アイヌ)や他の各地のアイヌ約50戸が自主的に近文へ移住、一帯は「チカプニコタン」と呼ばれるようになった[2]。
発展から終焉まで
近文コタンの関連施設
- 川村カ子トアイヌ記念館 - アイヌ民族文化の保護・伝承を目的としてコタン内(現北門町)に設置された設立された私設の資料館。運営者の川村家は、近文コタンのルーツのひとつペニウンクㇽ(上川アイヌ)の首長の家柄。
近文コタンゆかりの有名人
脚注
- ^ 芦原,2019,pp.40-41
- ^ 芦原,2019,pp.36,40-41
- ^ a b c d e f g 芦原,2019,p.41
- ^ 芦原,2019,pp.41-42
- ^ 芦原,2019,p.42
- ^ a b 芦原,2019,p.43
- ^ 芦原,2019,pp.45-46
- ^ 芦原,2019,pp.43-44
- ^ 芦原,2019,pp.33-35
- ^ 品川,2019,p.61
参考文献
- 芦原伸『ラストカムイ 砂澤ビッキの木彫』(白水社,2019)ISBN978-4-560-09736-6
外部リンク
関連項目