講談社X文庫ティーンズハート講談社X文庫ティーンズハート(こうだんしゃエックスぶんこティーンズハート)は、講談社が発行していたライトノベル系・少女小説系の文庫レーベル。 概要当初、講談社はタレント本やノベライズを中心とする講談社X文庫のレーベルを持っており、そのサブレーベルとして1987年に創設されたのがティーンズハートである。コバルト文庫(集英社)に比べてやや低めの年齢層をターゲットとし、改行を多用する読みやすい文体の作品が多かった。 その後、ティーンズハート以外の講談社X文庫はほとんど発刊されず、1991年のホワイトハート創設までは事実上、講談社X文庫=ティーンズハートという状態が続いていた。 1980年代末から1990年代初頭にかけての少女小説ブームにあって、コバルト文庫やパレット文庫(小学館)とともにブームの絶頂を築き上げたレーベルである。統一されたピンク色の背表紙(1996年12月発売分より、ジャンル別に5色に変更)とともに、小中学生を中心とする女性を読者層として数多くの作品を発売した。 しかし少女小説ブームの収束とともに、読者の嗜好の変化に対応できず、発行点数・発行部数ともに激減してしまう。2000年11月には発売ペースを隔月に変更。末期は長期シリーズの続編を中心に細々と奇数月に数冊が発売されていたが、2006年3月に、継続中のシリーズを全て完結させて刊行が終了した。後年、コバルト文庫やパレット文庫が小説ジャンルや読者層の変遷を図った流れとは対照的に、廃刊まで一貫して少女小説を中心として扱っていたレーベルであった。 執筆者(五十音順。著作10冊以上の作家を太字で表記)
編集体制ティーンズハートの編集部は当初、講談社において第三編集局企画部(以下「企画部」)と文芸局文芸図書第三出版部(いわゆる「文三」。以下「文芸局」)に分かれており[3]、それぞれに動いていた。 文芸局に持ち込まれたジュニア文庫の企画が、企画部のX文庫に紹介されたことが発端と言われる[4][5]。 以降、1992年に「文芸第四」として統合されるまで[6][7]、毎月の刊行物は2つの編集部で分担して編集された。 後にティーンズハートについて回顧する発言の多い花井愛子、皆川ゆか、津原やすみ(津原泰水)はこの企画部の作家であり、現在知られている当時のティーンズハートの内部事情に関する情報は、主に企画部側のものである。 同じくティーンズハート出身として語られることの多い小野不由美や、男性であることを公にして執筆していた中原涼(#レーベルの特徴参照)は文芸局の作家である。花井、皆川はそれぞれに、この2つの編集部の作家に接点はなかったと証言している[8][9]。 創刊と盛衰この項の内容は主に、企画部の作家であった花井愛子、皆川ゆか、津原やすみ(津原泰水)の発言に基づく。 1984年、講談社X文庫創刊。ノベライズの文庫であった。 この立ち上げにコピーライターとして関わった花井愛子が、続けてここから刊行されるノベライズを受注、その伝手から新規企画ティーンズハートへの小説執筆を依頼された。 1986年初冬、既に第2回までのラインナップが決定していた時期である。 この時点での企画は「X文庫のブランドはそのままにして、ノベライズのほかに、オリジナルの小説をティーンズハートのサブブランド名でリリースしていく」というものであった[10]。 1987年2月、ティーンズハートレーベル創刊。 矢沢翔名義でティーンズハートで二冊執筆した大森望曰く、ティーズハートは竹田将の持ち込み企画だった[2]。 高岡みちしげ『ときめいてチャンピオン』、三好礼子『風より元気!!』、森脇道『少女探偵に明日はない』、矢沢翔『テルアキ : 風のチェッカーフラッグ』、吉田ちか『初恋♥スクーターロード』の5冊である[11]。バイクやミステリを題材にした主に三人称の小説という、後のレーベルの傾向とは程遠いラインナップとなっている。 創刊2箇月のラインナップについて花井は「ターゲットの絞り込みがハンパ」「カバーのデザインが地味」だったと評価している。花井は、既に隆盛を極めていた集英社コバルト文庫の傾向と、当時並行して執筆していた少女漫画原作の経験を踏まえ、自著をプロデュースする。ターゲットはコバルト文庫と競合しない、「いままでマトモに活字の本を読んだことがない15歳中3少女」に設定された[12]。 後に皆川は花井より、コバルト文庫に対しての二番手戦略だったと聞かされたという[5]。 この戦略が当たり、またまもなく花井は複数ペンネームを使い分けることで刊行ペースを上げる。毎月の新刊の半数が花井の著作という状況となり、また他の作家もこの方向性に足並みを揃えることで、レーベルのカラーが定まった。 立ち上げから数箇月で急速なブームとなったことで早々に販売規模が拡大され、企画部は新刊点数の確保に難渋するようになる[5]。 皆川のデビュー作は、6月の他編集部への原稿持ち込みから紹介、改稿を経て、9月には刊行されている[5]。 1989年デビューの津原は、ライターとして所属していた事務所への「少女小説が書ける人はいないか?」との打診に応じて提出した冒頭13枚のサンプルがそのまま採用されデビュー作となった[13]。 また秋野ひとみ、青山えりか、小林深雪は、企画部と縁のあったホットドッグプレスで執筆していたライターであった[14]。 皆川は後にこの状況を、「持ち込みの新人やライターといった有象無象へ無理矢理書かせて、実戦投入」と表現している[5]。 「粗製濫造」と評される状況である[15][16]。
読者層が購買力の低い低年齢層へと移ったことで、毎月の新刊が買い支えられなくなったとの指摘もある[17]。 1991年頃のことであり、バブル崩壊に伴う出版不況も状況の悪化に拍車を掛けた[5]。 以降レーベルは低迷を続け、徐々に刊行点数と発行頻度を落とし、2006年に廃刊となる。
レーベルの特徴広く認知された特徴として、ピンクの背表紙と少女漫画家による表紙イラスト、少女一人称によるラブストーリー、「ページの下半分がメモ帳」とも言われる極端な版面率の低さが挙げられる。 最盛期である1980年代終盤に刊行された作品の多くはこれに当てはまるが、レーベル最初期、また後期の作品には該当しないものも多い。
多くの作品は、用字の制約の影響もあり仮名の多い文体となっているが、極端に版面率の低いものは少ない。花井の著作においても、1990年に入る頃から改行が減少している[5]。 少女による一人称という形式は不文律であった[22]と言われるが、少数ではあるが三人称の作品や少年を主人公とした作品も刊行されている。
この際、作品内容についても幅を広げる方針が、次のように告知された。 「ピンクは、いままでどおりティーンズのラブストーリーがメイン。グリーンは、ミステリー、ホラー、ファンタジーなどのエンタテインメント。レッドは、“ピンクのラブストーリーはもう卒業”という女のコのための新シリーズ。オレンジは、楽しい実用です」[23]。 以降は、1996年以前に刊行された作品の再版においてもジャンル別の色分けが為された。 秋野ひとみ『つかまえて』シリーズ、小野不由美『悪霊』シリーズ、皆川ゆか『運命のタロット』シリーズなどはこの際にグリーンへと区分されている。
これに対し、中原涼や風見潤は男性であることを明かした上で執筆していたが、彼らは文芸局の作家であった(#編集体制参照)。
略年表レーベルの盛衰に関わる代表的な出来事に、主要な情報源である花井愛子、皆川ゆか、津原やすみの動向を示す出来事を加える。
映像化
参考文献
脚注
関連項目 |