角間川の戦い
角間川の戦い(かくまがわのたたかい)は、戊辰戦争のひとつ秋田戦争の中で、庄内藩を中心とした奥羽越列藩同盟軍と、薩長連合と久保田藩などによる新政府軍が対決した戦いである。 経過角間川は給人町(武家町)であり、さらに雄物川舟運の県南最大の河港があり、陸上交通の要衝でもあったことから、奥羽越列藩同盟軍と新政府軍の両軍から重要な拠点と認識されていた。 8月12日、田村新町(現在の横手市大雄)にあった庄内藩二番大隊は、角間川(現在の大仙市角間川町)の新政府軍を打ち破る準備を進めていた。一関藩の峰岸兵左衛門が率いる六小隊が、二番隊の指揮下に入った。 二番隊隊長の酒井了恒(吉之丞)に対して仙台藩から、仙台軍が先鋒になって角間川を攻撃するとして、庄内藩の小隊に後続援軍の依頼があった。 8月13日正午頃、仙台軍は攻撃を開始したが、当時の仙台軍は「大砲がドンと鳴ったら五里(約20km)逃げる」略して「ドンゴリ」と嘲笑されるような弱兵になっており、まもなく本道上で敗走を始めた。後詰を務めていた水野郷右衛門率いる庄内軍七番小隊は、仙台軍を追撃してきた久保田軍を至近距離から攻撃した。さらに、酒井吉之丞の指揮で庄内本隊が進撃を始めたので、久保田兵は角間川の街中に逃走した。 松平角之介率いる七番小隊分隊が、角間川の民家に火を付けて久保田兵の掃討を行った。久保田軍は潰走を始めて、横手川を渡って大曲方面に脱出しようとし、渡し場に敗兵と避難民が集中した。ここで松平角之介が、横手川の船橋(対岸に綱を張り、それに川船を並べて繋ぎ、板を渡した仮橋)の綱を切り退路を断った。久保田軍は大混乱になり、多数が川に飛び込んで溺死した。新政府軍の完敗であり、庄内兵は勢いに乗って土工兵まで戦闘に加わった。 戦闘は午後2時には終了し、庄内隊は田村新町に引き上げた。新政府軍の損害は1日の戦闘としては最大であった。 長州隊が引き上げた後、佐賀隊は最後まで踏みとどまって奮戦した。 逸話8月14日に庄内藩二番大隊が角間川村に到着した際、村内で略奪行為を行った仙台藩兵を捕縛し、斬首した。住民はこの行為に歓喜し、庄内藩士の宿泊を示す宿札は略奪防止の御守となったことから、庄内藩兵をこぞって宿泊させたという[1]。 旧跡・墓所
脚注
参考文献
関連項目 |
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