西嶋弘之
西嶋 弘之(にしじま ひろゆき、1982年4月7日 - )は、奈良県北葛城郡河合町出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはDF。 来歴兄の影響で、7歳でサッカーを始める[2]。小学校時代は水泳、体操、ピアノ、書道、英会話、サッカーと習い事一色だった[3]。 高校時代は主にFW、攻撃的MF、ボランチとしてプレー[3]。奈良育英高校2年次の第78回全国高等学校サッカー選手権大会1回戦・韮崎高校戦では、ハットトリックも達成している。 2001年にサンフレッチェ広島へ加入。ボランチ→左SB→CBへとコンバートされるも、トップでの出場機会はなかった。 2004年にヴィッセル神戸へ移籍も出場機会はなく、同年9月にコンサドーレ札幌へ完全移籍。大森健作が抜けたあとの左CBを、移籍後すぐ安定したプレーで埋めた。2005年は池内友彦とのポジション争いや負傷による長期離脱があり、正DFの座を射止めるまでにはいかなかった。2006年以降は守備力のある左MFとして、また本職の左DFとして活躍してレギュラーに定着、9月27日の徳島ヴォルティス戦では自身Jリーグ初となる得点を決めた。以降も選手が入れ替わる中で常に主力として出場し続け、札幌を代表する選手の一人として活躍した。 2011年、Jリーグ5クラブからオファーを受け、徳島ヴォルティスに完全移籍[4][5]。その後2013年に横浜FCへ[6]。 2015年、ギラヴァンツ北九州へ完全移籍。2015年11月14日のJ2第41節・ザスパクサツ群馬戦で史上23人目となるJ2通算300試合出場を達成[7]。北九州では守備の中心的存在として3年間活動するも、J3で中位に低迷した2017年シーズン終了を以って現役を引退した[8]。 現役引退後は原子力損害賠償・廃炉等支援機構福島第一原発現地事務所で勤務しており、並行して『DREAM 福島アクションプラン』の一員として活動もしている[9][10]。 評価・プレースタイル高校時代までは攻撃的なポジションが主戦場[3]。 プロ入り後は、センターバックの他にもボランチや左右サイドバックなど、守備的な位置ならどこでもこなすことが出来るユーティリティな選手へと変貌を遂げた[11]。また、元々攻撃的なポジションでプレーしていたため、足下の技術が高く、サイドバック時の正確なクロス、またセットプレー時の得点力にも定評がある[5]。 エピソード所属クラブ
個人成績
脚注
関連項目外部リンク
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