西ノ京円町
西ノ京円町(にしのきょうえんまち)は、京都市中京区の町名。路線バスの停留所名としても用いられている。町名に冠される広域地名「西ノ京」を除いた「円町」の名称は、丸太町通と西大路通の交差点名(円町交差点)やJRの駅名(円町駅[注釈 1])として用いられており、かつて敷設されていた京都市電の停留所名としても用いられていた。 西ノ京円町の郵便番号は604-8463、令和2年国勢調査による2020年10月1日時点の人口は326人、世帯数は210世帯である。 西ノ京円町と町名に方位を付けた町については以下のとおり。
地理京都市中京区北西部の公称町であり、京都市内の自治区分の単位である元学区(学区)[注釈 2]では朱雀第八学区に位置する。 いずれも主要な京都市内の通りである西大路通と丸太町通の交差点を町域に含み、町名に冠される広域地名「西ノ京」を除いた「円町」が交差点名に用いられている(円町交差点)。 北側は西ノ京北円町、西側は西ノ京西円町、南側は西ノ京南円町、東側は南流する紙屋川(天神川)を隔てて西ノ京上平町と西ノ京西鹿垣町に接している。 同町の町名に方位を付けた町として、西ノ京北円町・西ノ京西円町・西ノ京南円町があるが、これらは土地区画整理事業により、西ノ京円町の区域をもとにして新たに起こされた町である。 小・中学校の通学区域市立小・中学校に通う場合の通学区域は、京都市立朱雀第八小学校および京都市立北野中学校である[2]。 歴史平安京では右京(朱雀大路から西側)に位置し、概ね右京一条二坊十二・十三町および右京二条二坊九・十六町にあたる。 町名に冠する「西ノ京」は元々は右京の別名であり、中世では北野天満宮の領地を指していうようになり、村名(西京村・西ノ京村)として近世にも用いられた。 豊臣秀吉が京都に築いた御土居の最西部にある突出部、いわゆる「御土居の袖」の内側に含まれる位置にある。 葛野郡西ノ京村が、町村制の施行に際し1889年(明治22年)に聚楽廻、壬生村と合併し、葛野郡朱雀野村大字西ノ京となると、葛野郡西ノ京村字円町は葛野郡朱雀野村大字西ノ京字円町となった。 字域には、1897年(明治30年)に京都鉄道(後の山陰本線)が通ったが、駅は100年以上後の2000年(平成12年)まで設置されることはなかった。 1912年(大正7年)に葛野郡朱雀野村が京都市下京区(当時)に編入され、朱雀野村大字西ノ京字円町が京都市下京区西ノ京円町となり、1929年(昭和4年)の中京区分区により京都市中京区西ノ京円町となった。 1928年(昭和3年)に市区改正設計により、丸太町通・西大路通が新設され、市電(丸太町線・西大路線)が敷設されると、地域には多くの家が建ち始め、街としての様相をみせるようになった[3]。 西ノ京円町が位置する元学区である朱雀第八学区は、1941年(昭和16年)に朱雀学区が8つに分かれることで現在の区域となった。この朱雀学区は、1912年(大正7年)に葛野郡朱雀野村が京都市に編入された際に設置された下京第34学区が、1929年(昭和4年)に小学校名により改称されたものである。 1960年代には丸太町通が西に延長されることにより、地域は飛躍的な発展を遂げた[3]。 市電は1976年(昭和51年)に丸太町線が廃止され、1978年(昭和53年)には全廃されたが、当地の交通の結節点としての役割に変わりはなく、2000年(平成12年)にはJRの駅(円町駅)も設置され、交通の利便性がさらに高まることになった。 沿革町名・町域など
その他
交通鉄道路線バス(運行系統については、「円町駅#バス路線」を参照。) 道路南北の通り東西の通り
脚注注釈
出典
参考文献関連文献
関連項目外部リンク |