藤木工務店
株式会社藤木工務店(ふじきこうむてん)は、大阪府大阪市中央区に本社・本店を置く、日本の建設会社である。 概要1920年(大正9年)11月23日の創業以来、民間建築工事主体 (ほぼ建築専業) で営業している。 藤木工務店は、大阪の山本鑑之進工務店に勤務していた藤木正一 (1891年-1967年) が、山本鑑之進の事業を継承して創業した。辰野金吾門下だった山本の人脈にも支えられ、創業の翌月には日本銀行岡山支店 (現・ルネスホール) の新築工事を受注している。1921年(大正10年)10月の第一合同銀行倉敷支店工事 (現・中国銀行倉敷本町出張所) の受注をきっかけに当時の頭取 大原孫三郎と懇意になり、倉敷市周辺の民間建築物を多く手がけることになった。代表例として、大原美術館 (1930年竣工)が挙げられる。 日本銀行岡山支店、第一合同銀行倉敷支店の施工によって銀行建築の実績と評価を得た藤木工務店は、その後も中国銀行、住友銀行、三和銀行などの本支店を手がけ、戦前〜戦中の藤木工務店を支えた。 戦後の藤木工務店が得意としている分野に文化財の修復、改築がある。旧金毘羅大芝居、旧山邑家住宅(ヨドコウ迎賓館)、備中国分寺五重塔、孫文記念館(移情閣)、赤穂城本丸門、備中松山城などを手がけた。また、創業期に施工した日本銀行岡山支店、第一合同銀行倉敷支店は登録有形文化財となっている。 同様に、医療機関も実績がある分野だ。倉敷市の倉紡中央病院[2](1923年、現・倉敷中央病院)や医療法人創和会しげい病院本館、神戸市のパルモア病院などである。その他に特別養護老人ホームやケアハウスなど、福祉施設の実績も豊富だ。 1930年(昭和5年)3月の合名会社化を経て1936年(昭和11年)12月には株式会社化し、1994年(平成6年)10月には大阪証券取引所(現物株は東京証券取引所に統合)第二部に上場を果たした。しかしバブル経済崩壊後の建築工事の採算悪化などにより、2002年(平成14年)6月に民事再生法の適用を申請した。2006年(平成18年)2月、減資することなしに民事再生手続は終結している。 沿革
施工物件
脚注書籍
外部リンク |