葉赫那拉氏葉赫那拉氏(エホナラし、イェヘ=ナラし)は、満洲族の氏族のひとつ。16世紀後半から17世紀前半の明末に女直(満洲族の前身)の強国であったイェヘ部の首長を輩出した家系であり、また清末の19世紀に西太后を出したことで有名である。 葉赫那拉は満洲語でᠶᡝᡥᡝ 族譜シンゲン[1][2]:蒙古トゥメト部出身、後にナラ氏を名告って女真化。イェヘナラ氏始祖。
歴史イェヘ=ナラ氏は、満洲族に統合される以前は、16世紀から17世紀の女直社会に存在した三大集団のひとつ、海西女直(女直側の呼称ではフルン四部)に属するイェヘ部の首長を世襲してきた。 その名が「太陽」を意味すると言われるナラ氏は、フルン各部の首長を出した女直の名家であり、イェヘ=ナラ氏はナラ氏の一族のうちイェヘ河(現在の吉林省通河)流域の地を本貫とする家系という意味の姓である。しかしイェヘ=ナラ氏は実際にはナラ氏の男系を継承しておらず、もともとモンゴル高原東部(内蒙古)にいたモンゴル系の貴族であった先祖がフルンの一部を支配していたナラ氏の家系に取って代わってその支配者となったと伝えられており、実際にはモンゴル系の部族が女直と同化して誕生した氏族である。 イェヘ=ナラ氏が治めるイェヘ部は明と境を接しており、フルン四部のうちでは同じく明と接するハダ部と並んで精強な国であった。16世紀末にはハダ部が急速に衰えた結果、イェヘ部がフルン四部の盟主というべき地位にまで昇る。しかし同じ時期にはフルン四部の南に住む建州女直のヌルハチが建州女直を統一し、全女直の統一に向けて勢力を拡大していく過程にあたった。フルン四部はヌルハチによって次々に滅ぼされ、最後まで抵抗を続けたイェヘ部も1619年のサルフの戦いで明と朝鮮、イェヘの連合軍がヌルハチに敗れた結果、力を失い、ヌルハチが先の1616年に立てていた後金(清の前身)に併合され、満洲八旗に吸収された。 イェヘ部が滅ぼされたのちもイェヘ=ナラ氏は満州屈指の名族として重んぜられ、多くの重臣を輩出した。またナラ姓の女性は、清の皇族である愛新覚羅氏の出た建州女直とは系統を異にする海西女直の名門であることから、清の後宮に入った者も多く、イェヘ=ナラ氏の妃もたびたび出ている。既にヌルハチがイェヘ部を滅ぼす以前に娶った夫人のうち、第3夫人の孝慈高皇后はのちに第2代皇帝となるホンタイジを生んでおり、また孝慈高皇后の妹もヌルハチの側妃(側室)となってその第8女を生んでいる。乾隆帝の夭折した息子を産んだ舒妃、咸豊帝の後宮に入って同治帝を産んだ西太后も、そうして後宮で皇帝の寵愛を受けたイェヘ=ナラ氏の女性であった。ただその一方で、イェヘ=ナラ氏の中では身分の低い下級官僚の家庭に生まれた西太后が清末に国政に大きな影響力を持ったために、後述する「葉赫那拉の呪い」の伝説も生まれている。 イェヘ=ナラ氏の末裔たちは現在も満州民族の中に存在するが、満洲族の漢民族との同化が進んだ現代では、「葉」「那」など中国風の一字姓を称するのがほとんどであるが、極少数で四文字姓の葉赫那拉家が存在する。 後裔著名人
伝説葉赫那拉の呪い西太后に関連して語られる「葉赫那拉の呪い」の物語は、大略で以下のようなものである。
上の伝説は、伝わり方によって細部に異同はあるものの非常に有名なものであり、中国・香港合作映画『西太后』(日本公開:1985年)や浅田次郎の小説『蒼穹の昴』などの創作のみならず、濱久雄『西太后』(1984年)などの評伝でも、歴史的事実として引用されている。 しかしながら、イェヘ部が滅ぶときに「葉赫那拉の呪い」がかけられたという物語は、清朝の公式の記録や正統的な歴史書には見えず、民間の俗書に載っているにすぎない。また既述のように、西太后まで葉赫那拉氏の后妃が現れなかったというのは明らかに誤謬である。従って、今日の中国の歴史学界では、これは作り話にすぎないという見解が定説となっている。 そもそも、もし「葉赫那拉の呪い」の伝説が本当であり、また19世紀当時に信じられていたならば、西太后が権力を掌握する過程で、政敵であった粛順らがその伝説を利用して西太后を誹謗し攻撃することも可能であったはずであるが、そのような事実はない。「葉赫那拉の呪い」という伝説は、西太后が権力を握ってからのち、彼女を憎む人々の心が広めた噂に過ぎない、と考えるほうが自然であろう。 太陽を意味する姓元末明初(14世紀後半)のこと、エホ河に住んでいたエホナラの部族の村に、アイシンギョロの一族が攻めてきた。アイシンギョロは、のちの清朝の皇室の先祖で、漢字で「愛新覚羅」(あいしんかくら)と表記されるようになる。 アイシンギョロの族長は、大地を指さして「わが姓は、大地で最も尊き黄金なり」と言い、エホナラの族長に服従を迫った。満州語で「アイシンギョロ」は「黄金」という意味だった。それを聞いたエホナラの族長は、大声でせせら笑い、アイシンギョロの族長に向かって「黄金なにするものぞ。わが姓はあれなり」と言い放ち、頭上の太陽を指さした。アイシンギョロの族長は、ぐっと言葉につまってしまった、という。 脚註
参照史籍
研究書
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