恵英紅
恵 英紅(惠 英紅、ワイ・インホン)またはカラ・ワイ[1](クララ・ウェイ、ベティ・ウェイ、クララ・ワイ、Kara Wai、Kara Hui、1960年2月2日 - )は、香港の女優。第1回ならびに第16回第36回香港電影金像奨の主演女優賞受賞者。2012年に亡くなった[2]香港のアクション俳優オースティン・ワイ(恵天賜)は実兄。 人物・経歴1960年2月2日、香港に生まれる。恵家は元々は山東省の満州族で清代の満州八旗のひとつ正黄旗葉赫那拉氏の家柄であったが、1949年の共産化の際に糾弾と迫害に遭い、さらに英紅の祖母がむごたらしく殺されたという過去を持つ[3]。一家は香港に逃げのび、1963年に英紅の父が賭博で全財産を失ってからは極貧の生活を送った[3]。8人いた兄弟姉妹の年長者はおのおの京劇団に売られ[4]、 のちに俳優となった兄オースティン・ワイ(恵天賜)も有名京劇団「春秋戯劇学校」[5]に送られた。 やがて、家計を助けるため13歳でナイトクラブのダンサーとして働き始める[6]。そこでショウ・ブラザーズの看板監督であったチャン・チェ(張徹)に見いだされ、1977年『金玉良縁紅楼夢』(原題)の端役としてデビュー、同年チャン・チェ監督作『射鵰英雄伝』(原題)で穆念慈を演じた。チャン・チェは、過去中国の風習としてよく行われた「義理の親子」の契りを多くの俳優と結んでいるが[7]、長い監督生活の中で義理の娘は唯一惠英紅のみである[8]。 1979年には著名な武術指導で映画監督でもあるラウ・カーリョン(劉家良)に抜擢され、『少林皇帝拳』『マッドクンフー 猿拳』『ワンス・アポン・ア・タイム 英雄少林拳 武館激闘』などの功夫映画に出演し、「劉家班(ラウ・アクションチーム)」の一員として[9]、厳しい撮影や訓練に耐えた。そして主演となる1981年のラウ・カーリョン監督作『レディークンフー 激闘拳』で、第1回香港電影金像奨の主演女優賞を受賞した。李翰祥(リー・ハンシャン)や楚原(チョー・ユン)監督作品などにも数多く出演、「東洋のハリウッド」と呼ばれた[10]ショウ・ブラザーズを彩る女性功夫スターの一人として活躍した。 しかし、そのショウ・ブラザーズが1985年に映画から撤退し、無綫電視に事業を一本化した頃から、功夫映画の制作が目に見えて減り、低予算の独立プロダクションが制作する現代アクション映画に出演するようになってゆく。やがてシベール・フーやミシェール・キングといった新進の女性アクションスターに押される格好となり、仕事が激減した。のちに本人が語ったところによると、年齢を重ねるごとに主役から脇役に回され、自身の加齢と向き合うことが出来ず鬱を患い、2000年には睡眠薬による自殺未遂を起こしたこともあったという[11]。 その後も映画やテレビドラマで、アクションのないバイプレイヤーとして地道に活動を続け、2009年の香港マレーシア韓国合作『心魔』(原題)において、中学生と交際する23歳の息子が少女の親から強姦罪で訴えられ示談金のため奔走する母親を演じ、台湾の金馬奨の助演女優賞や香港電影金像奨での主演女優賞など[12]数々の映画祭で女優賞に輝いた。 2011年にはピーター・チャン(陳可辛)監督作『捜査官X』でドニー・イェンと戦い、久々に本格アクションを披露し助演女優賞にノミネートされている。また、2013年に公開されたジュノ・マック(麥浚龍)監督のヒット作『キョンシー』では金像奨の助演女優賞を獲得。 実力派女優としてのキャリアを重ねつつ近年はアクションのある映画への出演も増えてきており、2017年にはアクション映画『ミセスK 〜裏切りの一撃』で主演を務めた。一方、第36回金像奨においては『幸運是我(原題)』のアルツハイマーに侵された女性の演技で三度目の主演女優賞を受賞した。 また、クララやベティという英語名について、第12回大阪アジアン映画祭のゲストとして登壇した際に、それらは日本でつけられたもので正しくはカラ・ワイ(Kara Wai)であると発言している[1]。 主な出演作品
主な受賞
出典
外部リンク |