華園真準
華園 真準(はなぞの しんじゅん、1925年10月5日[1] - 2019年12月16日[2])は、日本の僧侶。法名は、本賢(ほんけん)。旧名は、華園 久(はなぞの ひさし)。 興正寺住職(第30世)、宗教法人真宗興正派門主などを歴任した。 人物・来歴1925年生まれ。 生家の華園家は、興正寺住職の本寂が、平民苗字必称義務令により華園摂信と名乗ることになったため、それに伴い創設された[3]。華族制度が廃止されるまで、華園家の歴代当主は男爵に列せられていた。当主は京都府の興正寺にて僧侶を務めてきた[3]。興正寺は浄土真宗本願寺派の末寺筆頭として位置づけられていたが、曾祖父の華園摂信が真宗興正派を興して独立したのに伴い[3]、同派の本山となった。父である華園真淳も、興正寺で住職と務めるとともに、真宗興正派の門主を務めていた。真準も僧侶としての道を歩み、父と同じく興正寺の住職を務めるとともに、真宗興正派にて門主に就任した[3]。実子の華園真暢も僧侶となり、本顕と号して[3]、興正寺の住職と真宗興正派の門主を継承した[3]。孫の華園沙弥香は、大学生の頃より「真慶」と号して真宗興正派の嗣法に就任することが決定しており[3][4][5]、将来的に真宗興正派の門主を継承するとみられている[3]。真宗興正派の門主は男性のみ就任できると定められていたが、2001年に規則が改正され女性でも就任できるようになった[5]。 2019年死去。94歳没。 家族・親族東山天皇の八世孫であり、皇室の男系の子孫である[6]。そのため、真準は東山天皇の男系子孫(8世)にあたる[6]。 男系相続長子優先のサリカ法典式の血縁関係を見れば、1947年に皇籍離脱した旧皇族11宮家(いずれも崇光天皇の男系子孫)よりも、真準の方が今上天皇に血筋が近く[7]、2016年現在存命中の人物の中では、現皇族を除くと最も近い血族となっていた[3](以降は、華園真暢、梶野行淳、梶野行良……と続いていく[8])。 ただし、真暢には息子がいないため[3][5]、華園家で天皇の血を引く男系男子は、真暢を最後に途絶えるとみられている[3](なお分家した7人の叔父と大叔父の子孫が含まれているのかは不明)。 皇別摂家系図(鷹司系)
係累縁者が多数に上るため、下記には親族の範囲に該当する著名人のみ氏名を記載した。
脚注注釈出典
参考文献関連項目外部リンク
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