菅田賀子
菅田 賀子(すがた のりこ、1985年3月31日 - )は、宮城県出身の元女子競輪選手。現役時代は日本競輪選手会宮城支部所属(デビュー当時は新潟支部所属、ホームバンクは弥彦競輪場であった)。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第104期生。師匠は小川隆(61期)。実父は菅田順和[1]。 来歴実父は、1983年のオールスター競輪を制しコンコルドと呼ばれた名競輪選手・菅田順和(36期)。以下、兄・菅田和宏(88期)、叔父菅田彰人(47期)、従兄弟菅田壱道(91期)および菅田謙仁(109期)も競輪選手という競輪一家に生まれた[1]。きょうだいは他に妹がおり、妹のかをり[2]はいわき平競輪イメージアップサポーター(インタビュアー兼任)を務めていた[3]。 聖和学園高等学校から美術系専門学校を卒業し、プロのイラストレーターを目指したが断念、地元仙台で事務職に勤務[4]。2011年3月11日の東日本大震災で被災し、自宅待機していたときに女子競輪復活を知り、競輪選手を志したという[5]。同年9月加瀬加奈子らが所属していた弥彦競輪場のクラブ・スピリッツに加入[6]。 2011年12月16日、競輪学校第104回技能試験に合格[7]。在校競走成績は18位(0勝)[8]。 2013年5月11日、松戸競輪場でデビューし6着。初勝利は2014年8月10日の静岡競輪場で挙げた。 2020年、1月22日付のブログで体力の限界を理由に2月に行われる地元・いわき平FII(ナイター)開催にて引退することを表明[9]。2月9日の最終日第5レースで1着となった[10]のを最後に引退した[11]。レース後にはバンク内で引退セレモニーが行われ、インタビュアーは妹が務めた[3][12]。 2020年4月20日、選手登録消除[13]。通算戦績は490戦10勝。 脚注
外部リンク
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