菅生村 (茨城県)
菅生村(すがおむら)は、郡区町村編制法以前より1956年(昭和31年)4月1日まで存在した茨城県北相馬郡の村。現在の茨城県常総市南西部。 地理北相馬郡西部、同郡の北端に位置した村である。旧北相馬郡のうち鬼怒川西岸に存在した3村(1889年以前は4村)のうちの1つで、旧村域の西部には菅生沼がある。現在の地名では常総市菅生町、大塚戸町に相当する。 地域
歴史1954年(昭和29年)3月時点では、北相馬郡の鬼怒川西岸3村(内守谷村、坂手村、菅生村)での合併案が出されていたが、同年6月17日には内守谷村、鬼怒川東岸の小絹村との合併案に変更された(坂手村は同年7月に水海道市に編入)。その後、さらに変更が加えられ、菅生村は内守谷村と共に水海道市に編入される案が示された。しかし、菅生村では、守谷町は水海道市より健全財政であること、守谷町は水海道市よりも農村の色合いが強いことから健全な農村建設ができると考えることなどを挙げ[1]、守谷町との合併を求める人が一定数おり、水海道市との合併案が具体化していくにつれて「守谷町合併促進同盟」が結成され、守谷町との合併を求める運動が起こった。最終的には、先に編入された旧坂手村を含む北相馬郡の鬼怒川西岸3村は「絹西三箇村」と呼ばれて一体性を保持していたことや、分離しなければいけないほどの理由が存在しないとして、境界変更をすべきではないという結論が下され、1956年(昭和31年)4月1日に旧結城郡を中心に構成されていた水海道市(常総市)に編入された。また、仮に3村が2つの市町に分離されたとしても、菅生村では組合立の絹西中学校へ通学させたいという希望が存在した[2]。なお、現在では旧北相馬郡のうち、鬼怒川西岸3村にあたる地域は県西地域、左岸は県南地域と、別々の地域に属する。 沿革・年表
地域の変遷市町村域
施設脚注参考文献
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