菅沼定賞

 
菅沼 定賞
時代 江戸時代前期
生誕 寛永10年(1633年
死没 元禄13年1月12日1700年3月2日
改名 定恒→定賞→自性(法名)
別名 新五郎、主税
墓所 全勝寺
官位 従五位下越中守、伊賀守
幕府 江戸幕府旗本 小姓、中奥小姓
主君 徳川家綱綱吉家宣
氏族 菅沼氏
父母 父:菅沼定芳
兄弟 定昭定実定房小笠原長矩室、定方定賞定之、新十郎
内藤忠政の娘
本多正方室、木村元信室、主税、小三郎、定辰、彦千代、知久頼久室、岩鍋、定富
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菅沼 定賞(すがぬま さだよし)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本

経歴

菅沼定芳の五男として生まれる。寛永18年(1641年)10月3日、徳川家綱附属の小姓となる。寛永20年(1643年)3月26日、父の遺領から丹波国の1100石を分与される。正保4年(1647年)に兄・定昭が嗣子の無いまま亡くなって改易された後、慶安元年(1648年)閏1月20日に先祖の勲功から兄・定実と共に三河国で1万石を与えられ、定賞はそのうち設楽郡の3000石を分与され、それまでの所領は収公される。その後、中奥勤めとなり、慶安4年(1651年)8月16日に従五位下越中守に叙任される。後に職を辞して寄合に列する。明暦2年(1656年)、所領を設楽郡から八名郡に移される。元禄13年(1700年)1月12日、68歳で死去。

系譜

参考文献

 

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