臼井儀人
臼井 儀人(うすい よしと、1958年(昭和33年)4月21日 - 2009年(平成21年)9月11日)は、日本の漫画家・作詞家。静岡県静岡市生まれ、埼玉県春日部市育ち。代表作は『クレヨンしんちゃん』。本名は臼井 義人(うすい よしひと)[1]。 来歴1958年4月21日、静岡県静岡市に生まれ、埼玉県春日部市で育つ。 1977年に埼玉県立春日部工業高等学校を卒業。アルバイトをしながらデザイン関係の専門学校に通学する。 1979年、広告関係の会社に入社。スーパーマーケットのPOP広告作成で生計を立てながら、漫画家デビュー。 1990年8月、『週刊Weekly漫画アクション』誌上に『クレヨンしんちゃん』の連載を開始。1992年にテレビ朝日系列でアニメ化。1993年にアニメ映画化され社会現象を起こす大ブームとなる。臼井はいくつかの主題歌や挿入歌の歌詞も提供しているほか[注釈 1]、劇場版数作品には本人役で出演もしている。また、増刊号として同作品を表紙および巻頭作品として扱った4コマ漫画雑誌『クレヨンしんちゃん特集号』も毎月出版された[注釈 2]。1995年から約1年間、竹書房の4コマ漫画雑誌『まんがライフ』でも『スーパー主婦月美さん』の表紙および巻頭ページを担当した[2]。 2000年11月、『クレヨンしんちゃん特集号』が『まんがタウン』と改題して4コマ漫画雑誌として独立創刊されたのを機に、『週刊Weekly漫画アクション』から移籍し引き続き表紙および巻頭作品を担当。また同時期頃より、既婚女性をターゲットとした同社の雑誌『Jourすてきな主婦たち』でも『クレヨンしんちゃん』の登場人物、野原ひまわりを主役とした作品『プッチプチひまわり』が掲載された。 2004年には『クレヨンしんちゃん』原作単行本のプロモーションのためスペインのバルセロナ市を訪問。その際同国での同作品の普及に感激し「バルセロナでのエピソードを執筆したい」との意向から原作・テレビアニメともにそのストーリーが掲載・放送され、後にスペインでも放送された(2004年5月29日放送「オーラッ!スペイン旅行だゾ」)。 不慮の死2009年9月11日、登山が趣味であった臼井は妙義荒船佐久高原国定公園の荒船山へ単身で日帰り登山に行くと告げ、早朝自宅を出発[3][4]。列車を乗り継ぎ、下仁田駅からタクシーで登山口の内山峠へ向かい[5]、そこで目撃されたのを最後に連絡が取れなくなった。翌朝になっても帰宅しなかったことから埼玉県警察春日部警察署へ捜索願が出された[4]。このことは著名な人物の失踪事件として、各種マスメディアでも報道された。 9月19日になり、荒船山の岩壁にておよそ高さ120メートルの崖下に転落している男性が登山客によって発見され[6][7]、佐久消防署に通報された[8][9]。現場の状況から行方不明となっていた臼井本人であることが疑われ、9月20日に群馬県警察の捜索隊が現場へ直行し、男性を収容して下仁田警察署へ搬送[6]。家族関係者により遺体の確認作業が行われ、骨が折れて顔は判別できないほど損傷が激しかったが、最終的には歯型(歯科データ)が決め手となり[10][1]、臼井であることが判明し、死亡が確認された[7][10]。満51歳没(享年52)。 当地での警察による検視の結果、死因は全身強打による肺挫滅であり、死亡推定時刻は11日午後頃と推定された[6][1]。滑落現場は過去に事故例がほとんどないことから[6]、事件性の有無についても捜査が行われた。現場から発見されたデジタルカメラに残っていた最後の画像は、崖の下を覗き込むように撮影されたもので、事件性はなく、写真を撮っている際に、誤って足を滑らせて転落したのであろうと報じられた[11]。写真のタイムスタンプなどから、最後の写真は9月11日の12時20分頃に撮影されたと推定されている[12]。 死後連載中の『クレヨンしんちゃん』について、双葉社は9月21日に開いた記者会見にて「既に入稿されている『まんがタウン』2009年12月号掲載分まで続ける」と発表[14]。また、同作のテレビアニメを放映しているテレビ朝日も原作者死亡という事態を受け、「今後は家族など関係者と相談したい」というコメントを発表した[15]。その後、2009年11月5日に臼井の遺稿が発見され、『クレヨンしんちゃん』は2010年3月号まで連載が延長された[16]。 現役であった人気漫画家の訃報に際し、『クレヨンしんちゃん』が掲載されている『まんがタウン』など双葉社の雑誌に作品を執筆している樹るう[17]、私屋カヲル[18]、後藤羽矢子[19]、笹野ちはる[20]らをはじめ、その他多くの作家[注釈 3]が相次いで哀悼の意を表す記事などを、自身の日記やブログ、ホームページなどで公開した。また、アニメ『クレヨンしんちゃん』2009年10月16日放送分では、冒頭に「臼井儀人先生のご冥福をお祈りします」との追悼メッセージがナレーション込みで放送され、2010年公開の劇場版『クレヨンしんちゃん 超時空!嵐を呼ぶオラの花嫁』のスタッフロールの最後にも、追悼メッセージが流された。 人物像生前の本人は「漫画家は感動を売るのが使命であって謎めいていた方がいいから」「僕は面白い人間じゃないし、読者ががっかりしちゃうから」という理由で「決して顔出ししない漫画家」として知られていた。遭難し死亡が確認された際にも、日本の媒体では顔写真を公表せず、基本的に日本向け報道では掲載しなかった[注釈 4]。なお、日本国外での報道の中には顔写真が掲載されたものもあるが、それらの写真は、本人が顔写真を公表していないがゆえに情報が錯綜し、黒田征太郎の顔写真を誤って臼井の写真と紹介したものであった[21]。顔出しをしないという意向は臼井自身の葬儀においても徹底され、葬儀は遺影も位牌もない密葬となった[13]。 以上のことからメディアに出演する機会は全くと言っていいほど無かったが、臼井自身がTBSラジオで放送されていた番組『コサキンDEワァオ!』の大ファンおよびヘビーリスナーであったことから同番組に2回ゲストで出演したことがある。これは基本的に顔出しをしない臼井の数少ないメディア出演のひとつであった。また、数本の劇場版『クレヨンしんちゃん』作品に声優として数秒ではあるが特別出演も果たしている(後述)。 本人を知る人からは「作家らしくない普通の人」と評され[22]、臼井と面識を持つ関根麻里は「かっこいい」と語っていた。近所の住民や関係者からも、「真面目で常識的」[22]、「あいさつを欠かさず感じのよい人」で[23]、地域の活動にも協力的で出しゃばることもなく[24]、作品の主人公から受ける印象とは対照的に親孝行[24]だと親しまれていたという。 趣味は登山で単独行が多く、これが前述の遭難に繋がった。『クレヨンしんちゃん』劇場版では「便座鑑賞」が趣味という設定になっていた。 『クレヨンしんちゃん』に関するエピソードアニメ化された『クレヨンしんちゃん』の一部では、カラオケなどで本人の歌声を披露している。アニメの初代オープニング「動物園は大変だ」や、13代目エンディング「ママとのお約束条項の歌」の一部、挿入歌の「北埼玉ブルース」の一部や、「ひまわり体操」の一部の作詞も手掛けている。 NHK『みんなのうた』でも、1997年に発表された楽曲「それがボクのおとうさん」の映像を担当している(実際の制作作業は『クレヨンしんちゃん』同様シンエイ動画がノンクレジット扱いで担当)。この曲を歌っているのは、同曲が発表された年に公開された『暗黒タマタマ大追跡』の主題歌も歌った財津和夫であった。 サザンオールスターズ(桑田佳祐ソロ含む)のファンで、作中ではしんのすけの失恋シーンやひろしがお風呂で歌う鼻歌の場面などにサザンや桑田の曲を引用。車の中でサザンのカセットを探すシーンも見られる。さらにはコミックスの18巻に「あなただけを 〜Summer Heartbreak〜」(アニメ『家族みんなでハワイだゾ しかもオラ人魚に恋したゾ』ではエンディングテーマとしても使用)、24巻に「希望の轍」の歌詞が掲載されたこともある。 『クレヨンしんちゃん』は現実を舞台にした日常漫画だが、自分なりの非日常冒険外伝も多く描いており『伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!』の上映に関しては自らイメージイラストを描くほどの関心をもっている。また『暗黒タマタマ大追跡』から『爆発!温泉わくわく大決戦』まで「マンガ家(臼井儀人)」役として特別出演しており、その度に野原家一行に殴り倒されるのが恒例となっている。 『超こち亀』で『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の両津勘吉、秋本・カトリーヌ・麗子と、『クレヨンしんちゃん』のしんのすけとぶりぶりざえもんを共演させた際、しんのすけは両津と麗子をたじろがせていた。また、臼井は「秋本先生、コサキン聞いてますか?」「麗子さんと付き合いたいです」とメッセージを残した。『こち亀』の作者・秋本治も臼井同様コサキンリスナーでありコサキンのラジオ番組25周年の際には秋本、臼井、さくらももこによる記念ポスターが共同製作された。 家族・親族既婚で、二女を持つ父であった。没後に遺族が週刊誌の取材に応えている。 単行本作品リスト
出演劇場アニメいずれもマンガ家役。
ラジオ
脚注注釈
出典
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