胸いっぱいの愛を
「胸いっぱいの愛を」(むねいっぱいのあいを、Whole Lotta Love)は、イギリスのロックバンド、レッド・ツェッペリンの楽曲。2作目のアルバム『レッド・ツェッペリン II』のオープニング・ナンバー。 他のレッド・ツェッペリンの楽曲と同様、イギリスではシングル・カットされなかった。アメリカ合衆国とドイツ(地元チャートで首位)、オランダ(地元チャートで最高4位)、 ベルギー、フランス、日本でシングル・カットされ、特にアメリカでは最初のヒット・シングルとなり(最高4位)、セールスは100万枚を突破した。 『ローリング・ストーン(Rolling Stone)』誌が選んだ「オールタイム・グレイテスト・ソング500」と「オールタイム・グレイテスト・ギター・ソングス100」に於いて、それぞれ75位[2] と11位[3] にランクイン。また、2005年3月の『Q』誌の「グレイテスト・ギター・トラック100」で、2009年のVH1のオールタイム・グレイテスト・ハードロック・ソングに於いて、どちらも3位となった[4] 「胸いっぱいの愛を」は、ロンドンのオリンピック・スタジオで録音され、ニューヨークのA&Rスタジオ(A&R Studios)でミキシングされた[要出典]。早くからライブでは演奏されていた曲であったが、最初に公式リリースされたのは、1969年10月22日にLP『Led Zeppelin II』 (Atlantic LP #8236)の収録曲としてであった。 先行楽曲からの影響および訴訟1962年、マディ・ウォーターズは、ウィリー・ディクスン作の「You Need Love」を録音した。1966年、イギリスのモッズ・バンド、スモール・フェイセスは、この「You Need Love」を改作して「You Need Loving 」と題して録音し、デビュー・アルバム『Small Faces』に収録した。レッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」の歌詞の一部は、ロバート・プラントのお気に入りだったウィリー・ディクスン作の「You Need Love」から採られている。さらにプラントのフレージングは、スモール・フェイセスの「You Need Loving 」におけるスティーヴ・マリオットの歌い方によく似ている。ディクスン作の「You Need Love」との類似に関しては、1985年にディクスン側から訴訟が起こされ、最終的にディクスンに有利な形で法廷外での和解が成立した[5]。一方、スモール・フェイセスには、ディクスン側から訴訟を起こされておらず、「You Need Loving 」の作詞作曲表示は現在もロニー・レーンとスティーヴ・マリオットの2人だけになっている。 ロバート・プラントは、ブルースやソウルの大ファンであり、しばしば愛好する先行楽曲から歌詞を引用して歌っていて、特にライブではそうしたことをよくやっていた。
活動初期の曲にこういったブルースの改作や盗作が多くみられ、その都度訴訟を起こされ和解してきた。 また訴訟を起こされてから曲に相手のクレジットを入れる事から、しばしば「ブルースの遺産を食い潰す」行為として非難の的となった。 曲についてレコーディング・エンジニアのエディ・クレイマーの説明によれば「有名な「胸いっぱいの愛を」のミックスは、何もかもぐちゃぐちゃで、ジミーと僕とで小さなコンソールの周りを跳び回りながら、ありとあらゆるノブをいじくって組み上げた」ものだという[要出典]。クレイマーは次のようにも述べている。
レッド・ツェッペリンのベース、ジョン・ポール・ジョーンズは、ペイジの有名なリフについて、ステージで「幻惑されて (Dazed And Confused)」を即興演奏しているうちに思いついたのではないか、と述べている[8]。 これに対し、ジミー・ペイジは、この曲がステージから着想されたという説を強く否定している。
別のインタビューで、ペイジは次のように説明している。
この曲のトラックでペイジは、バックワード(リバース)エコー(backward echo/reverse echo)のテクニックを制作に取り入れている[5]。 シングル盤のリリースLP『レッド・ツェッペリン II』のリリース後、ラジオ局は、たちまち成功を収めたこのアルバムから、放送でかけるのに適したトラックをどれにしようかと考える中で、アルバム冒頭の衝撃的な曲である「胸いっぱいの愛を」は有力な候補だった。しかし、多くのラジオ局は、中間部の形式にはまらない部分が放送向きではないと判断し、曲を通して放送せず、自前で編集を加えた短縮版を作って放送に使っていた。アトランティック・レコードは、こうした状況にすぐさま反応し、米国での通常のシングル盤(B面は同じアルバムに収録された「Living Loving Maid (She's Just a Woman)」)とは別に、形式にはまらない部分を削除し、早めにフェードアウトで終了する3分10秒バージョンを、1969年11月7日に Atlantic #45-2690 としてリリースした[1]。この短縮版は、ラジオ局を対象としたプロモーション用のリリースとして意図されていたはずであったが、一部は米国の一般市場にも出回ったようで、ファンにとってのコレクターズ・アイテムとなった。この曲は、米国のほか、フランス、西ドイツ(チャート首位)、スイス、オランダ、ベルギー、オーストラリア(EPでも発売)、日本でもシングル盤として発売されたが、これは、こうした国々においてバンド側がレコード会社に対して強い影響力を発揮できなかったからであった。短縮版は、やがて回収されることになった。 イギリスでは、アトランティック・レコードが自ら短縮版を発売しようと企画し、リリースを前提に1969年12月5日に最初のレコードをプレスした。しかし、バンドのマネージャーだったピーター・グラントは、イギリス市場については断固としてバンドの「シングルなし」というマーケティング戦略を通し、リリースを止めさせた。このとき出されたバンド自身の公式声明には、イギリスで最初に発売する新曲を準備していることが付け加えられていたが、これは結局実現しなかった。また、レコード会社側からの大きな圧力にもかかわらず、バンドが存続していた間、レッド・ツェッペリンはイギリスでは公式シングルをいっさいリリースしなかった[5]。 数年後、アトランティック・レコードは「胸いっぱいの愛を」をオリジナルと同じ「Living Loving Maid」とのカップリングで、オールディーズ・シリーズ(Oldies Series)・レーベルから再発した(OS-13116)。このとき、ちょっとしたエラーがあった。この再発では、短縮された3分10秒バージョンが使用されたにもかかわらず、レーベルには演奏時間がオリジナル版の5分33秒で印刷されていたのである。 1997年、アトランティック・レコードは、1969年の録音から新たに作成された4分50秒の短縮版を、CDシングルとしてリリースした。かつてシングル盤が発売されないようバンド側が市場を管理していたイギリスにおいても、このバージョンはチャート入りを果たした。 チャートでの成功とライブでの演奏「胸いっぱいの愛を」のシングル盤は、1969年11月22日に Billboard Hot 100 のチャートに初登場した。そのまま、15週にわたってチャートにとどまり、最高4位を記録し、レッド・ツェッペリンにとって唯一の全米トップ10入りを果たしたシングル曲となった。ライブで最初に演奏されたのは、1969年4月26日であった[11]。ライブで演奏されるときには、レッド・ツェッペリンの他の曲の一部を組み込んだ形をとることもあり、「I Can't Quit You Baby」、「You Shook Me」、「How Many More Times」、「Your Time Is Gonna Come」、「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」、「The Lemon Song」、「クランジ」、「デジャ・メイク・ハー」、「ブラック・ドッグ」、「アウト・オン・ザ・タイルズ」、「Ramble On」などの一部が演奏の途中に聞こえることがあった。「胸いっぱいの愛を」は、1970年代半ば以降は、バンドのメンバーが好んでいたブルースやR&Bのカバーとメドレーにして、ショーの最後に演奏されるのが定番となった。メドレーに組み込まれるカバー作品には、エディ・コクラン、エルヴィス・プレスリー、ジョン・リー・フッカーの名作が含まれていた。 公式リリースされている「胸いっぱいの愛を」のライブ演奏は、以下の通りである。
「胸いっぱいの愛を」は、レッド・ツェッペリンがオリジナルの編成でライブ演奏した最後の曲である。その後のレッド・ツェッペリンの「再結成」の際にも、1985年のライヴエイドにおいて(ドラムはフィル・コリンズで)演奏されたほか、1988年のアトランティック・レコード40周年コンサート(Atlantic Records 40th Anniversary)や、ロンドンのO2アリーナで行なわれた2007年12月10日のアーメット・アーティガン追悼コンサート(Ahmet Ertegün Tribute Concert)でも、ジェイソン・ボーナムが亡き父に代わってドラムを担当して演奏された。 栄誉
(*) 順位のないリストに選出されたもの 各国における発売形態以下のリストにおいて、楽曲の作者表記は現行のものに従っている。
チャートの順位シングル
シングル(デジタル・ダウンロード)
注: イギリスのシングル・チャートは、2005年4月17日まで合法的ダウンロード数をシングルの売上枚数に加算していた。 売上認定
パーソネル後年への文化的影響この曲は、広く多数のアーティストたちによってカバーされている。イギリスでは、長寿テレビ番組だった『トップ・オブ・ザ・ポップス (Top of the Pops)』のテーマ曲として、この曲が1970年代から1980年代にかけて使用されていたため、非常によく知られた楽曲となっている。2008年8月24日に行なわれた北京オリンピックの閉会式では、次回の開催地がロンドンであることを踏まえてこの曲が大きく取り上げられ、ジミー・ペイジのギターとレオナ・ルイスのボーカルによる演奏が行なわれた。この演奏に関して、ルイスも主催者側も、歌詞の一部を変更することを求め、特に「I'm gonna give you every inch of my love」の部分が問題とされた。ルイスは、この部分が、女性が歌う歌詞としては意味をなさないと考えていた[41]。 カバー・バージョン
サンプリングによる使用
この曲のメインのリフは、フランク・ザッパのライブ演奏にも一部が使用されており、その演奏の一部はアルバム『Läther』に「Duck Duck Goose」として収められている。このLP4にして枚組のアルバムは、当初は1977年に発表される予定であったが、1996年にCD3枚組で発売されるまで公式にはリリースされなかった。このアルバムがより長いバージョンは、「Leather Goods」と題され、ボーナストラックとしてCDに収録されているが、こちらには「幻惑されて (Dazed and Confused)」の一部も含まれている。 その他B'zのライブツアー、『B'z LIVE-GYM 2019 -Whole Lotta NEW LOVE-』の名称の由来にもなっている。 出典・脚注
参考文献
外部リンク |
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