耶律朮烈
耶律 朮烈(やりつ じゅつれつ)は、北遼の第4代皇帝。興宗の子の秦越王耶律阿璉の子[1]。北遼の初代皇帝の天錫帝の後継者。 生涯1122年に天錫帝が没すると、後継者は秦王耶律定(天祚帝の五男)がその後を継いだ。その秦王が亡くなると、その同母兄である梁王耶律雅里(天祚帝の次男)が継いだ。 1123年10月になり、梁王耶律雅里が31歳で没すると、蕭徳烈ら北遼の大臣たちは朮烈を擁立した。しかし、11月に金に南京が包囲され、同時に内紛もあって朮烈は家臣たちによって弑された。このために、北遼は滅亡を迎えることになった。 宗室后妃
子女
脚注伝記資料
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