美保村
美保村(みほそん)は鳥取県岩美郡の西部に存在した自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは邑美郡に属した。 概要現在の鳥取駅南側一帯に当たり、千代川下流右岸に位置した。同川の対岸にあった気高郡美穂村とは異なり、鳥取市合併までは隣接していた。 因幡国邑美郡三戸古保(みとこのほ)に属した古市村・富安村・吉成村・大覚寺村・宮長村・的場村の6村と、同郡蔵田庄(くらだのしょう)に属した数津村・叶村が合併して成立した(的場村は因伯郷村帳や岩美郡史では三戸古保とされているが因幡志では蔵田庄の所属、また因幡民談記では記載無し)[2][3]。 村名の美保は、三戸古保の頭音「み」と終音「ほ」から「みほ」とし、「美しく保つ」と選定したとされる[4]。 昭和初期に鳥取市と隣接町村が一体となった都市計画を樹立し、1929年(昭和4年)に吉成・富安・古市が都市計画区域に決定された。当時、鳥取市寺町にあった日本製糸工場が湖山村に移転するとこれに代わる製糸工場の立地が望まれるようになった。そのため富安に乾繭場を持っていた郡是製糸の工場を誘致するために郡是鳥取工場設立期成同盟会を設立した。工場の誘致は成功し、1932年(昭和7年)に稼働した。これがきっかけで美保村は鳥取市と合併することになった[5][6]。 しかし合併が具体化した1933年(昭和8年)夏、村内から猛烈な合併反対騒動が約40日間に渡って展開された。そのため県知事や議員の調停工作により、「美保小学校の設備を旧市並みに完備」「道路の拡大整備」「水道整備し経費半額を市負担」「美保自治会に7万円寄付」「市役所出張所の設置」「消防完備のためガソリンポンプ3台を市より提供」の6項目を合併条件として承認し、反対運動に終止符を打った[7]。 旧村域は現在、大路川を境に北側が美保小学校区、南側が美保南小学校区におおむね相当する。 沿革
合併後村制時の8大字(古市・富安・吉成・大覚寺・的場・宮長・叶・数津)は鳥取市の大字として継承されたが、その後以下のように変更された[13]。 吉成は一部が叶1丁目・興南町・富安1〜2丁目・古市・南吉方2〜3丁目・吉成南町1〜2丁目となった。 富安は一部が富安1〜2丁目・扇町・興南町・幸町・天神町・東品治町・南吉方1丁目となった。 古市は一部が行徳・幸町・天神町となった。 的場は一部が的場1〜4丁目・叶・西大路となった。 叶は一部が叶1丁目・的場1〜4丁目となった。 行政戸長
歴代村長
教育当時の主要施設交通鉄道
道路出身者脚注
関連項目 |