経王寺 (札幌市)
経王寺(けいおうじ)は北海道札幌市豊平区豊平にある日蓮宗の寺院。山号は妙法華山。旧本山は身延山久遠寺、小西法縁。 概要1875年(明治8年)開山[1]。開祖は紀伊藩出身で東京深川・浄心寺の役僧であった松井寬義[1][2]。松井は明治初年に北海道布教を志して渡道し、函館・江差・石狩を経て札幌近郊・元村の妙見山本龍寺に留錫(滞留)した[1]。その後、何れも熱心な日蓮宗信者であった、開拓御用請負師・大岡助右衛門、開拓御用料理屋(旧東京庵)店主・後藤彦右衛門、素封家・中村甚五兵衛らと相計り、1875年に大岡が寄進した札幌郡豊平村(現札幌市豊平区豊平)の現在地に一堂寺を建立した[1][2]。開山当時の檀家は45軒であったが、徐々に増加し、5年後の1880年に本堂が創建された[1][2]。同年正式に許可を受け、「経王寺」と寺号を公称した[1]。その後、当寺は道内を2分する西部録所(宗務所)の指定を受け、道内内陸部や樺太方面への布教の本拠となり、さらには総本山直末・身延山北海道弘通所の栄誉を受けるに至った[1][2]。 また松井は、地元豊平村の有力者であった阿部仁太郎・阿部代之助ら有志と相計り、1881年に境内寺にある建物を利用して寺子屋(現在の札幌市立豊平小学校の前身)を開設、地域子女の教育にも尽くした[3]。さらに境内には行政機関や治安維持等の機関も設置され、開拓間もない豊平地区の文化・教育の中心的な役割も果たした[4]。 第二次世界大戦後の1951年、札幌郊外の手稲山麓に「奥の院大平和寺」を建立し、緇素(出家者と在家)の参詣の浄地と定めた[5]。1955年には、総本山(身延山)第84世法主・深見日円の来山を期して、総本山より「北海身延」の称号を允許された[5]。 『札幌市史 文化社会編』(札幌市史編集委員会編、1958年)では、当寺が創立年代が早くまた檀信徒も多く、教化力の大きな寺院であることから、似たような経緯や特色を持つ真宗大谷派札幌別院、中央寺(曹洞宗)、本願寺札幌別院(真宗本願寺派)、新善光寺(浄土宗)と並ぶ、「札幌五大寺」の一つであるとしている[6]。 沿革
旧末寺日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
交通アクセス脚注
参考文献
外部リンク |