紀元前565年(きげんぜん565ねん)は、西暦(ローマ暦)による年。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元189年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前565年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
できごと
中国
- 魯の襄公が晋に赴いた。
- 鄭の公子たちが釐公の死に乗じて子駟(公子騑)を失脚させようとした。子駟はこれに先んじて子狐・子熙・子侯・子丁に罪を負わせて殺させた。孫撃と孫悪は衛に亡命した。
- 鄭の子国と子耳が蔡に侵入し、蔡の公子燮を捕らえた。
- 晋の悼公・鄭の簡公・斉の高厚・魯の季孫宿・宋の向戌・衛の甯殖らが邢丘で会合した。
- 莒が魯の東辺に侵攻した。
- 楚の子嚢(公子貞)が軍を率いて鄭を攻撃した。
- 晋の士匄が使節として魯に訪れた。
誕生
死去
脚注