南部は加古川支流の篠山川流域となっており、段丘および沖積地から構成され、川の働きにより流入した多くの礫や砂、土が堆積している。篠山盆地の基盤は南にいくほど低くなっている。現在は川代渓谷を経由し加古川に注ぐ篠山川は、最終氷期までは武庫川に向かって流れていた。これは川代渓谷の標高が 176 m であることと篠山盆地の堆積物を除いた基盤の丹波層群の基盤の標高が 160 m であることから推測されている。また、川代渓谷の篠山盆地側に堆積した礫層の石の並び方から判断し、現在とは逆方向、すなわち盆地に向かって川が流れていることが判明している。すなわち当時、川代渓谷は存在せず、年月とともに山が削られ、渓谷になったと推定されている。最終氷河期までの篠山川は傾斜の緩やかなことから排水が悪く、当野付近の基盤岩が武庫川に堆積し、さらに流れを堰き止めた。この際の堆積土が弁天黒土と呼ばれている。