篠山城
篠山城(ささやまじょう)は、兵庫県丹波篠山市北新町にあった日本の城(近世城郭)。篠山盆地の中央部、笹山とよばれる小丘陵に築かれた平山城で、篠山藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。 歴史・沿革江戸時代
以後、松井松平家一代、藤井松平家二代、形原松平家五代、青山家六代の歴代篠山藩主を経て明治を迎えた。 近現代1873年(明治6年) に城郭の建造物が取り壊され始めた。二の丸御殿の大書院(おおしょいん)も公示入札を行ったところ100円での落札が決まったが、取り壊しに多くの費用が必要なことから放置された[1]。これを旧藩士の安藤直紀が入手し、小学校、次いで公民館へと転用されて現存した。しかし1944年(昭和19年)に火災訓練時の失火により焼失した[1]。
復元・整備城周辺の整備がすすめられており、2000年(平成12年)4月には二の丸御殿の中心的建物だった大書院(おおしょいん)が復元された。大書院は一般公開されている。 堀に不法投棄される自転車などのゴミや、増える外来種を駆除するために堀の水を抜いて作業するなどして水質を改善する活動が行われている[3][4]。令和元年7月、三の丸南広場の整備が終わり供用が再開された[5]、
縄張城は内堀と外堀を有し、内堀内に本丸と二の丸を設ける。外堀の外周は1辺約400mのほぼ正方形で、東・北・南の門には馬出を設置して守りを固めていた。二の丸を囲む土塀は所々、屏風折りに外側に突き出しており狭間の死角を少なくする工夫がされていた。築城当初より天守台はあるが天守は建設されなかった。これは石垣や堀をはじめとする城の造りが堅固すぎることを幕府が懸念したためと伝えられている。実際には次に予定していた名古屋城の普請にあたり、篠山城築城に関わった助役大名のほとんどを移らせたためであり、家康も必要以上に堅固としたため普請期間が伸びたと難じた。天守の建てられなかった天守台には、平櫓が南西隅に建っていた。 三の丸に上級武士、外堀沿いに中級・下級武士、外堀南に足軽長屋、街道沿いに町や社寺が配置された。 現在、三の丸には北と南に広場がありデカンショ祭や篠山ABCマラソンのスタート・ゴール地点などの催し物にも使用されている。外堀沿いには桜が約1000本、植えられている。これは1915年(大正4年)、篠山町青年会が大正天皇即位を記念して東堀に植樹した事に始まる。
文化財史跡馬出の遺構が東と南の2カ所がが残っている、特に南馬出は現存する唯一の土塁だけの馬出であり、その高さは約4メートルである[6]。1956年(昭和31年)12月28日国の史跡に指定された[7]。いずれの門か不明だが市内金照寺に山門として移築現存している。 観光所在地兵庫県丹波篠山市北新町2-3(大書院所在地) 交通アクセス西日本旅客鉄道(JR西日本)福知山線「篠山口駅」より、ウイング神姫(旧神姫グリーンバス)(2番のりば・篠山営業所ゆき)で17分、二階町下車、南へ300m。城の北側に市営駐車場あり。 料金
周囲の文化施設・観光名所
脚注
関連項目
外部リンク
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