第7装甲師団 (ドイツ連邦陸軍)
第7装甲師団(ドイツ語:7. Panzerdivision)は、ドイツ連邦陸軍の師団のひとつ。2006年6月に解散した。師団の部隊は主にノルトライン=ヴェストファーレン州、リップシュタット、ウンナおよびデュッセルドルフに駐屯していた。 歴史第1次編制1958年8月1日、第7擲弾兵師団として編成される。基幹部隊は1956年4月1日に編成された装甲教導大隊を母体にした第7装甲偵察大隊、第7整備大隊および第7軍楽隊第1次編成隊で構成された。1959年7月1日に全ての装甲戦闘群が揃い、リップシュタット近郊のリッペルブルッフ駐屯地で編成完結する。第2次編制では1958年から再編成が始まる。この間、師団長不在時はフライヘル・フォン・カンシュタイン大佐(Freiherr von Canstein)が師団長代行として1959年2月まで任に就いた。 1957年7月1日に第3装甲師団のC3装甲戦闘群がアウグストドルフにて本師団に編入し、これが第21装甲旅団に改称・編成される。旅団は第215装甲砲兵大隊、第212装甲擲弾兵大隊、第214戦車大隊で構成される。ヘーマーでは第203装甲擲弾兵大隊、第204戦車大隊が(のちの第20装甲旅団となる)編成された。第19装甲擲弾兵旅団はアーレン (ノルトライン=ヴェストファーレン)およびミュンスター=ハンドルフで隷下部隊が編成される予定であったが、遅れが生じ数個中隊が存在していたのみであった。1959年4月1日にアーレンにて旅団は編成完結する。師団は第2軍団に所属した。 第2次編制第20装甲旅団などの編成は遅れていたが、はやくも1958年10月1日から装甲擲弾兵師団への改編が開始され、1959年3月16日に第7装甲擲弾兵師団に改称・改編する。これに合わせ師団司令部はウンナのヘルヴィック兵営(Hellweg-Kaserne)に移転する。1958年12月1日に第3軍団の編制替えのため一部の部隊は変更される。第19装甲旅団と第21装甲旅団(旧C3装甲戦闘群)が師団隷下におかれる。 師団直轄部隊は以下のようになっていた。
1962年11月10日に第7装甲擲弾兵師団は第2軍団に所属となり、第10装甲擲弾兵師団と第11装甲擲弾兵師団と共に北大西洋条約機構に結合される。1964年4月1日にヘーマーに所在していた第20装甲擲弾兵旅団が師団に編入され、3個旅団制となり複数の直轄部隊も編成完結する。これで第2次編制が完成する。 第3次編制1970年に第20装甲旅団は再編成され、第100戦車連隊として第1軍団直轄部隊となるが1975年に師団に復帰する。1959年3月に編成された第196補給大隊は1973年4月1日に師団直轄の第7補給大隊として編入される。1974年1月1日には第7整備大隊が編成される。 第4次編制第4次編制で師団改編が進められ、1980年10月1日に第7装甲師団に改称・改編され兵員18,000人と文民550人の規模の師団となる。NATO中央欧州連合軍では重要な役割を担った。特に柔軟反応戦略の下で第7装甲師団は、連合軍部隊の一角として戦略的重要地域であるノルトライン=ヴェストファーレン州内のライン川防衛線構成を担当していた。 以下は1980年時点での師団編制
冷戦終結後冷戦終結後、陸軍は大規模な軍縮を実行に移す。1993年に第20装甲旅団が解散され、師団兵員は三分の一に縮小される。第3防衛管区と合併することになり司令部をデュッセルドルフに移転し第3防衛管区司令部 / 第7装甲師団に改称・改組される。1994年には第19装甲擲弾兵旅団が第1装甲師団に配転される。1994年から1996年まで第9装甲教導旅団が指揮下に入る。2001年には第14装甲旅団が隷下に入る。同年7月1日には第3防衛管区司令部から分離する。この際に陸軍指揮司令部の隷下に入る。また短期間であったが第30工兵旅団が2002年まで師団におかれる。こののち師団は以下のようになる。
第19装甲擲弾兵旅団は2002年に解散され、第7装甲師団は緊急展開師団としてNATO多国籍即応軍団に割り当てられ、シュヴェトスゾウ(pl:Świętoszów)のポーランド陸軍第10機甲騎兵旅団と共にあった。 2006年復員2006年6月13日に師団は最後の体制をむかえ同月30日に解散される。師団司令部はデュッセルドルフで最後をむかえる。隷下部隊は解散や再編成がなされた。第14装甲旅団は再編成されて航空機動作戦師団に、第21装甲旅団は介入師団 / 第1装甲師団に割り当てられる。東西対立が続いていた1980年代には約27,000人いた兵員も冷戦後は約10,000人規模にまで縮小されていた。師団の伝統は第21装甲旅団に継承され、収集された軍事史料「リッペシュ・ローザ(Lippische Rose)」がアウグストドルフに所在するロンメル元帥兵舎に提供された。 実働任務最初の国外派遣任務は第二次国際連合ソマリア活動で師団隷下の29個部隊から人員約70名が派遣された。1996年からIFORに約2,000人が派遣される。1996年と1997年のSFORの任務に参加する。1999年6月には第33戦車大隊から214人がコソボに派遣され、2000年から2001年にかけてのKFORに参加する。2003年5月にはアフガニスタンのISAFに参加。師団はほかにスーダンでの視察団にも参加する。2005年9月から欧州連合部隊に参加し、KFORとISAFに関わる。2006年3月に帰国し師団の解散準備任務に移り、師団は解散する。 歴代師団長
脚注参考文献
外部リンク |