第二東亜会館
第二東亜会館(だいにとうあかいかん)は、東京都新宿区歌舞伎町にある娯楽施設である[1][2][3]。1969年(昭和44年)4月、「新宿オデヲン座」、ダンスホール「新宿ステレオホール」を経営していた東亜興行が、その跡地に東亜会館(とうあかいかん)として新築・開業した。同ビル内には映画館「歌舞伎町東映劇場」(かぶきちょうとうえいげきじょう、のちの新宿トーア)、パチンコ店「新宿ゲームセンター」(しんじゅくゲームセンター)、ボウリング場「新宿トーアボウル」(しんじゅくトーアボウル)があった[1][2][3]。1975年(昭和50年)12月、現在の名称に変更した[2]。 本項では、歌舞伎町日活(かぶきちょうにっかつ)、歌舞伎町トーア(かぶきちょうトーア)、新宿トーア(しんじゅくトーア)等、かつて同会館に存在したすべての映画館についても詳述する。 沿革
データフロア下記の表は、フロアのおもな変遷である。
概要1969年(昭和44年)4月、高橋康友の東亜興行が、東亜会館として新築・開業、地上階にパチンコ店「新宿ゲームセンター」、ボウリング場「新宿トーアボウル」を開設、地下に歌舞伎町東映劇場を開館した[2]。同地は、そもそも1951年(昭和26年)11月、同社が映画館「新宿オデヲン座」を開館、初めて歌舞伎町に進出した場所であった[1][2][3]。1955年(昭和30年)12月に同地の斜め前に「グランドビル」を新築・開業、1959年(昭和34年)4月に新宿オデヲン座を同地から「グランドビル」地下に移転し、跡地である同地では、同地にダンスホール「新宿ステレオホール」、パチンコ店「オデヲンゲームセンター」を開業、その後はこの2店の営業をつづけていた[1][2][3]。「新宿トーアボウル」は、同会館の3階から7階までを占め、60レーンを稼働していた。 1975年(昭和50年)12月には、「グランドビル」の名称を「第一東亜会館」へ変更、それにともなって同会館は第二東亜会館と改称した[2]。同じころ、1970年代半ばにはブームも下火になると閉めざるを得なくなり、ディスコに業態を変換、3階から7階までの各階に複数のディスコが入居した。1976年(昭和51年)には、2階に歌舞伎町日活を開館、日活ロマンポルノを上映した。 1989年(平成元年)には、2階にあった歌舞伎町日活を2つの映画館に分割、歌舞伎町トーア1・2と改称、いずれも外国映画(洋画)のロードショー館として稼働したが、1995年(平成7年)には、歌舞伎町トーア1・2をいずれも閉館した。1996年(平成8年)1月には、地下の歌舞伎町東映を新宿トーアと改称、改装して開場している[2]。このころになると、3階から7階までの各階を占めたディスコも閉店を余儀なくされている。1990年(平成2年)1月3日、東亜興行の創業者・会長の高橋康友が死去した[13]。 2009年(平成21年)4月17日、『釣りキチ三平』(滝田洋二郎監督)の上映をもって新宿トーアを閉館[14]、同館での映画館事業から撤退した[3]。「第一東亜会館」の新宿オスカー劇場が同年9月23日に閉館し、「第一東亜会館」全体が同年11月30日に完全閉館、閉鎖され、東亜興行の歌舞伎町での映画館事業は同年をもって完全に撤退となった[2][3]。 「第一東亜会館」が2012年(平成24年)に閉鎖・解体、売却された後も[15]、同会館は「第二東亜会館」の名称を続けている[2]。2019年(令和元年)7月現在、新宿トーアのあった地下1階にはナイトクラブ「WARP SHINJUKU」、1-2階にはゲームセンター「セガプラザ新宿歌舞伎町」[11]、3階にはカラオケボックス「カラオケの鉄人新宿歌舞伎町店」[10]、4階にはインターネットカフェ「グランサイバーカフェバグース新宿」[9]、5階には居酒屋チェーン「白木屋歌舞伎町総本店」[8]が入居している。 脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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