秋田県立スケート場
秋田県立スケート場(あきたけんりつスケートじょう)は、秋田県秋田市の向浜運動広場にある屋内アイススケートリンクである。アイススケートリンクとしては10月中旬から翌年3月下旬まで開場されており、オフシーズン(4月中旬から9月中旬まで)は催事場として利用されている[2][3]。秋田県総合公社が指定管理者として管理運営を行っている[4]。設置および運営の根拠条例は秋田県立スケート場条例(昭和46年秋田県条例第57号)[5]。 概要秋田県では1910年(明治43年)、当時の知事・森正隆が県内初等中等教育の体育にアイススケートを取り入れたことから、スポーツとしてのスケートが認知され始めた[6]。以降、昭和時代半ばまでは八郎潟や千秋公園などにできた天然リンクが使用されてきたが、自然環境の変化によりこれらは使用不可となり[6]、その後秋田市山王に秋田アイススケートリンクという民間リンクが設立されたがそれも閉鎖となった[要出典]。 そこで秋田県は1971年(昭和46年)、夏季はアイスホッケー場を水泳プールに転用できる屋内複合施設として秋田県立スケート場を開設した[1]。 開設から四半世紀以上、夏季は水泳プールとして使用されてきたが、2000年(平成12年)9月6日をもってプール用途は廃止され、2001年(平成13年)1月1日より供用開始された秋田県立総合プールに引き継がれた[7]。 競技用の利用は1979年冬の国体でこそ行われたが、その後は競技の国際開催基準がクリアできなくなり行われていない。自県開催となった1984年のインターハイや2007年夏の国体も氷上種目の開催地が確保できず別の県で代替開催し、国体は夏冬完全国体開催を逃した。[要出典] 岩城町の厚生年金休暇村に、アキタアイスアリーナという民間アリーナも存在したが廃止となっている[8][出典無効]。 年表
施設データサービス![]() 場内に更衣室、医務室、食堂があるほか、1000函のコインロッカー・4000足の各種サイズ貸スケート靴が整備されており有料で使用可能である[1][13]。一般利用のほか団体での貸切使用も可能であり[13]、また各種スケート教室やスケートイベントも開催されている[14]。 出典
外部リンク
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