祁答院町下手
祁答院町下手(けどういんちょうしもで)は、鹿児島県薩摩川内市の大字[2]。旧薩摩国伊佐郡大村郷下手村、南伊佐郡大村大字下手、薩摩郡祁答院町大字下手。郵便番号は895-1501。人口は909人、世帯数は430世帯(2020年10月1日現在)[3]。 地理薩摩川内市の東部、川内川支流久富木川の中流域に位置している 。2004年の市町村合併以前は祁答院町役場が所在していたため、旧祁答院町の中心地となっており、現在も祁答院地域の中心地となっている。四方を山に囲まれており、盆地状の地形を形成している。 字域の北方はさつま町広瀬、田原、南方は祁答院町藺牟田、西方はさつま町久富木、東方は祁答院町上手に接している。 字域の中央を鹿児島県道51号宮之城加治木線が南北に通っており、祁答院市街地の南方から西方に向けて鹿児島県道333号川内祁答院線が分岐しており、中央部では東方に向けて鹿児島県道391号下手山田帖佐線が分岐している。市街地の北方で鹿児島県道406号宮之城祁答院線が分岐し県道51号が進路を北東に変える。 中央部には薩摩川内市役所祁答院支所、薩摩川内市立祁答院中学校、薩摩川内市立大軣小学校、薩摩川内市立祁答院幼稚園が所在している。 河川
歴史成立から町村制施行まで下手という地名は江戸期より見え、薩摩国伊佐郡大村郷(外城)のうちであった。江戸初期には上手村(現在の祁答院町上手)と共に、大村とされている資料もあり、「天保郷帳」では大村となっている。村高は「旧高旧領」では1,922石余であった。 大村城下に大村郷の地頭仮屋が置かれ、その周囲には麓が形成されており、麓の西部にある街道沿いには野町が形成されていた。 町村制施行以後1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、大村郷の区域より大村が成立し、江戸期の下手村は大村の大字「下手」となった。1955年(昭和30年)には大村、黒木村、藺牟田村が新設合併し祁答院町となった[4]。 2004年(平成16年)に祁答院町が川内市、東郷町、入来町、樋脇町、里村、上甑村、下甑村、鹿島村と共に新設合併し薩摩川内市の大字「祁答院町下手」となった。 人口以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
施設公共
教育
郵便局
寺社
小・中学校の学区市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである[10]。
交通道路脚注
座標: 北緯31度52分10.3秒 東経130度29分35.3秒 / 北緯31.869528度 東経130.493139度 |
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