磐梯高原
磐梯高原(ばんだいこうげん)は、裏磐梯または裏磐梯高原とも呼ばれ、福島県北部にある磐梯山、安達太良山、吾妻山に囲まれた標高800メートル程度の高原状の地域をいう。磐梯朝日国立公園に属する。 概要磐梯山・吾妻山・安達太良山などの火山群は、非常に地形の変化に富んでおり、対して桧原湖・五色沼に代表される湖沼群はその総数200 - 300ともいわれ、その水質や沈殿物、あるいは生育する植物の違いにより色を変え、ひっそりと森の中にたたずんでいる様は、会津地方はもちろん福島県を代表するリゾート地として充分な魅力である。また有料道路・遊歩道も整備され、新緑や紅葉の季節はもちろん夏は避暑地として、冬はスキー場、桧原湖のワカサギ釣りなど四季を問わず楽しめ、ホテル、ペンション、民宿など宿泊施設も整っている。 歴史猪苗代湖がある磐梯山南側の表磐梯に対して、北側にあたる旧・檜原(ひばら)村(現・北塩原村)一帯は裏磐梯とよばれていた。1888年(明治21年)7月15日の磐梯山噴火時に発生した小磐梯の山体崩壊により、裏磐梯側に12 - 15億立方メートルともいわれる岩屑なだれ(がんせつなだれ)が起き、長瀬川とその支流中津川・小野川・檜原川などを埋めて誕生し、また桧原湖・小野川湖・秋元湖や五色沼などを作っている。 同時にこの山体崩壊は秋元、細野、雄子沢(おしざわ)など5村11集落を呑み込み、さらに同年末には米沢街道の区間だった旧・檜原本村も水没し、死者・行方不明者数は477人にのぼるなど甚大な被害を残した。その後しばらく数十年は荒涼とした原野のままであったが、遠藤現夢(遠藤十次郎)・宮森太左衛門・斎藤丹之丞・中村弥六らはここに犠牲者の供養をするとともに、1,340ヘクタールに及ぶアカマツやスギ、ウルシなど10万本の植林をすすめ、現在の緑豊かな高原として生まれ変わった。 そして戦後、観光開発に伴い磐梯高原と呼ばれるようになり、1950年(昭和25年)に一帯は周辺の火山とともに磐梯朝日国立公園に指定された。山岳道路等はそれ以降相次いで整備されたものである。1989年(平成元年)、磐梯高原と雄国沼は「日本の秘境100選」に選ばれている。 四季の自然広い林と数々の湖を擁する磐梯高原は、四季を通じて自然愛好者の人気を集めている。春・秋の森の散策[1]、夏の湖上カヌー遊びや湖畔キャンプ、冬のスノーシュー・トレッキングや歩くスキー[2]、ワカサギの釣りなどが行われている[3]。 交通山岳道路など磐梯高原に入るには上記の交通機関のほか、国道115号の猪苗代口、福島市土湯温泉口あるいは国道459号の耶麻郡北塩原口(喜多方口)があるが、山岳道路も非常に充実している(冬期間通行止めの路線あり)。
周辺の観光ポイント
脚注注釈出典参考文献関連項目外部リンク
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