石見利勝
石見 利勝(いわみ としかつ、1941年(昭和16年)8月14日[1] - )は、日本の政治家。兵庫県姫路市長(4期)。 父は元姫路市長の石見元秀。 来歴6人きょうだいの第4子として[2]兵庫県飾磨郡余部村(現・姫路市)に生まれる。余部村立余部小学校、姫路市立白鳥中学校[3]、兵庫県立姫路西高等学校を経て、京都大学理学部宇宙物理学科、東洋大学工学部建築学科卒業。東京工業大学大学院に進学し、石原舜介研究室で都市計画を専攻。1973年、東京工業大学大学院理工学研究科博士課程を修了し、工学博士号を取得した。1974年より東京工業大学助手。1979年、建設省建築研究所主任研究員に着任し、1983年には同研究所第六研究部都市防災研究室長に就任した。1987年、筑波大学助教授に着任。1994年より立命館大学政策科学部教授、1998年には政策科学部長、政策科学研究科長に就任した。 2003年、姫路市長選挙に無所属で立候補。現職の堀川和洋を破り、初当選を果たした。2007年の姫路市長選では、石見の他に立候補者がいなかったため、無投票再選。2011年の姫路市長選挙では、新人3候補を大差で破り、3選を果たした。同年6月7日、世界文化遺産地域連携会議副会長に就任[4]。2015年の姫路市長選挙では、元県議の新人との一騎討ちを制し、4選を果たした。 2018年9月3日の姫路市議会において、2019年春に行われる予定の姫路市長選挙に立候補しないことを表明した[5]。市長選では、医師で元東北大学教授の清元秀泰を後継指名した[6]。 2020年4月1日、姫路市名誉市民の称号を贈られた[7]。2022年、旭日中綬章受章[8]。 研究者として東京工業大学大学院で、東京・荻窪南口の再開発基本構想や北海道苫小牧市の駅前再開発構想、埼玉県川口市商業近代化計画、名古屋市大曽根地区工場跡地利用計画、岡山市都心商業地活性化構想、北九州市小倉駅北口再開発構想など、いくつかのまちづくり計画に携わり、工学博士の学位取得後、建設省建築研究所(現:独立行政法人建築研究所)へ転任した[9]。 その後、独立行政法人国際協力機構 (JICA) の要請を受けてアジア工科大学院 (AIT) に赴任した。AITでは、計画数理、主として統計学、多変量解析、調査&調査データ処理を担当する傍ら、住宅地計画やスラムの環境改善計画、生活改善・社会開発計画など、東アジアを中心に多くの国々を訪れ、色々な計画立案の実習を指導した[10]。帰国後、筑波大学や立命館大学で教鞭をとる傍ら、駅周辺地区開発構想など積極的に手掛けた[9]。 姫路市長として姫路市長就任後、長年の懸案であったJR姫路駅の高架化事業の実現に尽力。また国宝姫路城の保存事業「平成の修理」に取り組んだ。父・石見元秀が市長在任の時には「昭和の大修理」が行われたため親子揃って市長在任中に姫路城の修理が行われたことになった。 姫路市の政令指定都市への移行を主張していた。当初は姫路市周辺の市町村の合併による政令指定都市への移行を目指していたが、合併協議が事実上頓挫したため、法で定められた「人口50万人以上」の直接適用による移行を目指したが、これは叶わなかった。 3期目途中の2013年に地方中枢拠点都市圏を提唱、これは2015年に連携中枢都市圏として法律上の裏付けのある制度となり、この構想に基づき、姫路市は周辺7市8町と播磨圏域連携中枢都市圏連携協約を締結した[11]。合併交渉よりも緩やかな周辺市町との連携に舵を切り、合併による政令市移行から事実上転換することとなった。 人物
著書
脚注
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia