石橋冠
石橋 冠(いしばし かん、1936年9月11日[1] - )は、日本の演出家。山田太一、倉本聡らの脚本家と組み、多くの作品を手掛けた。日本テレビのディレクターを経て、現在はフリー。夫人は元日本テレビプロデューサーの大井紀子。 経歴東京都出身[2]。小学生のときに北海道札幌市に移る[2]。北海道札幌南高等学校を経て[2]、1960年、早稲田大学政治経済学部を卒業し[2]、日本テレビに入社[2][3]。 「ラブレター」で2003年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞[2][3]。「点と線」で2007年度、「なぜ君は絶望と闘えたのか」で2010年度の2度にそれぞれ文化庁芸術祭賞大賞を受賞[3]。「シューシャインボーイ」でソウル国際ドラマアワード2010・グランプリを受賞[3]。2011年、旭日小綬章[3]。 2016年、『人生の約束』で映画監督デビューを果たす[4]。 人物昨今のテレビドラマについて石橋は、「映像がファッション化し、本来描くべき人間たちの生活とか心情が遠くなってしまったように思われる。テレビドラマの使命は、日常の生活にしっかり寄り添い、そこに生きる人の心情や、他者との絆を丹念に描いて<人生への応援歌>であるべき。その特質が衰退していく気配は、個人的には淋しい。」と述べている[3]。また、「良いドラマは良いサスペンスの文体を持っている」という自論を持つ[5]。見る側にある種の混乱を与えることが大切であり、その点今のテレビドラマはわかりやすさを重視し過ぎている面がある、と主張している[5]。 原田芳雄とは1972年のテレビドラマ『冬物語』より長く仕事をしており、原田の告別式の際には石橋蓮司とともに弔辞を読んだ[6]。 独身時代、映画監督の岡本喜八の離れに下宿していたことがあり、直接助監督についたことはないが師と仰いでいる[7]。岡本宅の下宿人は牢名主的な俳優中谷一郎を筆頭に、脚本家の長野洋、少し遅れて女優の大谷直子ら多士済々であった。仲代達矢は、住んだことこそないが「いつ行ってもいろんな人がゴロゴロしている家だった」と述懐している。 演出作品テレビドラマ日本テレビ時代
フリー以降
協力プロデューサー
映画脚注・出典
関連項目外部リンク
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