石井大智
石井 大智(いしい だいち、1997年7月29日[2] - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。阪神タイガース所属。 経歴プロ入り前秋田市立旭川小学校3年で「旭川スポーツ少年団」に入団し野球を始める[4]。秋田市立秋田東中学校時代は同校の軟式野球部に所属。2年時までエースだったが、3年時に同学年の成田翔がエースとなり、自身は内野手となる[5]。 秋田工業高等専門学校に進学。元は中学で野球をやめる予定で、「工業系の仕事に進みたい」という理由で進学を選択した[6]。専攻は環境都市工学だった[7]。しかし野球を続け、入部当時は「遠投は80メートル、球速は120キロ出ていたかどうか」という選手であったと当時の監督・白根弘也は述べている[7]。球速を向上させた2年生の秋からエースとなり[7]、3年夏の秋田大会では初戦の大曲農業高校太田分校戦で3安打完封勝利[8]。2回戦の秋田修英高校戦で0-7で敗退[8]。高野連の大会出場資格を失った4年および5年時は体力づくりに専念し、練習試合で実戦感覚を養う[6]。4年生の時に就職活動し、いったんは大手企業から内定を得たものの、5年生になる頃に監督の白根にプロ選手志望を打ち明けた[7]。中学時代のチームメイトだった成田翔がロッテに入団したことで「同じ舞台で戦いたい」とNPB入りを目指したためだった[5][6]。白根はこれに応えるべく、四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスが実施した独自トライアウトに石井を参加させ、高知監督の駒田徳広から内々定を得た[7]。一方学業では木造住宅の耐震性を研究テーマに選び、上位1/4に常に入る成績を収め[9]、指導教官・寺本尚史の研究室にダンベルを持ち込むことまでしたという[10]。 2017年11月に実施されたアイランドリーグのドラフトに高知から4巡目で指名され入団[11]。背番号は17[12]。当時の球速は136 - 137km/hで、獲得を決めた駒田は独立リーグでは通用してもNPBに行けるとは正直思っていなかったと2021年に述べている[13]。 四国IL高知時代2018年は21試合に登板し、2勝4敗、防御率2.08を記録[14]。オフにはみやざきフェニックス・リーグの四国IL選抜チームに選出された[15]。 2019年は開幕戦の徳島インディゴソックス戦に先発し、9回を15奪三振、被安打を初回の岸潤一郎の二塁打1本のみに抑え完封勝利を挙げた[16]。シーズンでは18試合に登板し、チーム最多の108回1/3を投げ6勝5敗、防御率1.50を記録[17]。122奪三振を挙げ最多奪三振のタイトルを獲得した[18]。ストレートの最速は151km/hを計測[5]。2年連続でみやざきフェニックス・リーグの四国IL選抜チームに選出された[19]。このシーズン頃には直球の球速が150km/h台にまで向上し、駒田は「練習への取り組み方が他の選手とは違っていたね」と後に話している[13]。 2020年は17試合に登板し、6勝7敗、防御率1.69、129奪三振を記録[20]。9月には自己最速を2km/h更新する153km/hを計測した[6]。10月23日の徳島との首位攻防戦に先発するが、7回3失点(自責点0)で敗戦投手となり、徳島のリーグ連覇を許した[21]。このシーズンにはNPB10球団から調査書が届いた[6]。 2020年のドラフト会議で阪神タイガースから8巡目指名を受け[22]、契約金1500万円、年俸550万円で仮契約を結んだ[23]。背番号は69[24]。高等専門学校出身者がNPBドラフト会議で指名を受けるのは鬼屋敷正人以来2人目[25]、高等専門学校卒業者及び国立高等専門学校出身者では史上初である[3][注 1]。 阪神時代2021年2月のキャンプでは一軍メンバーに入り[26]、そのまま開幕一軍入り[27]。公式戦初登板は3月26日、開幕戦となる対ヤクルト戦(神宮)の7回で、1点リードの場面から塩見泰隆に同点となる三塁打を打たれた[10]。5試合に登板したのち、4月19日に登録を抹消され、二軍降格[28]。その後も二度、一軍昇格と二軍降格を繰り返し、8月26日の登録抹消後は一軍復帰はならず、初年度の成績は18試合に登板して0勝1敗、防御率6.23だった[29]。 2022年も開幕一軍入りし、引き続き救援投手としてマウンドに上がり防御率0.75と前年より大幅に良化。ただ、シーズン中に新型コロナウイルス陽性判定を受けたこともあり登板数は前年と同じ18試合に留まった。 2023年も開幕一軍入りすると、5月11日のヤクルト戦でプロ入り初勝利を挙げ、NPB初の高専卒の勝利投手となった[30]。しかし、このときの登板で腰を痛め、当初予定されていたヒーローインタビューに登壇できなかった。登板13試合で1勝5ホールド、防御率0.60の好成績を挙げていたが、翌12日、腰痛を理由に出場選手登録を抹消された。故障内容についてスポーツ紙では「腰部の疲労骨折の可能性が高い」と報じている[31]。その後復帰して最終的にキャリアハイとなる1勝1敗19ホールド、防御率1.35の成績を残した[32]。クライマックスシリーズや日本シリーズにも登板した[33][34]。 2024年も4年連続の開幕一軍入りとなった。3月30日、開幕2戦目の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で7回から登板するも、1回2安打2失点(自責1)を喫する。この試合により、オープン戦から3試合連続での失点を喫する内容の悪さで、翌日よりベンチメンバーを外れ[35]、4月3日に登録抹消となった[36]。5月4日に再昇格し[37]、再昇格後は後半戦に19試合連続無失点を記録する[38]など安定した投球を見せ、最終的に56試合の登板で4勝1敗1セーブ30ホールド、防御率1.48の成績を残した[39]。12月6日に4200万円増の推定年俸8200万円で契約を更改した[39]。 選手としての特徴オーバースローから最速155 km/hのストレートとシンカー、スライダー、カットボール、カーブを投げる[4][40][41]。シンカーは潮崎哲也を参考にして習得した[40]。 人物2022年11月に、同年シーズン開幕前に結婚していたことを明らかにした[42]。妻は神奈川県出身の一般女性で、高知時代にスタジアムアナウンスを担当しており、石井より7歳年上である[42]。NPBドラフト指名直後から約1年2か月の交際期間を経ての結婚だった[42]。2022年の初登板となったヤクルト戦でホセ・オスナに本塁打を打たれた試合後、帰宅した石井を「後悔のないように」プレーするよう元気づけたという[32][42]。2024年9月に第一子となる長男が誕生した[43]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録NPB
独立リーグでの投手成績
背番号
登場曲
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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