矢野さとる
矢野 さとる(やの さとる、1981年9月24日 - )は日本のコンテンツエンジニアである。字幕in株式会社の元代表取締役社長。本名は矢野 哲[1]。 経歴福岡県生まれ。パソコン部の部長だった兄の影響で、中学時代からパソコン通信やMS-DOSに慣れ親しんでいた。高校時代にはHTMLやCGIを学び、Webでの活動を本格化したものの、サイト構築に夢中になりすぎた結果、大学受験に失敗してしまう[2]。 浪人中、通っていた北九州予備校と同名のドメインを取得し、生徒向けのコミュニティーサイトを開設。仲間内で盛り上がった一方、予備校側には問題視され、結果として強制退学処分を受ける[3]。その後は大学進学を諦め、地元の西部日刊スポーツにWeb担当のアルバイトとして入社。プログラマーとして働く傍ら、2ちゃんねる型掲示板のレンタルサービスである2ch2を個人的に運営していた[2]。 2年後、新聞社での経験を元にヤフー株式会社に転職、コンテンツエンジニアとして開発業務に従事する。21歳での入社は当時最年少の事例だった[2]。「Yahoo!テレビ」「Yahoo!ゲーム情報」などを担当した。3年後、24歳で株式会社ライブドアにプランナーとして入社。「livedoorアバター」「livedoorフレパ」など、コミュニティ系のサービスに携わった。その後、起業に興味を抱き、当時のライブドア副社長・園田崇の誘いを受け、株式会社ウフルのCTO(最高技術責任者)に就任する。ウフルでは中高年向けのSNSサービスに携わる[3]も、2006年1月に退社する。 退社後は無職でWebサービスを作り続け、一時期は50以上ものサイトを運営していた[4]。2007年1月、YouTubeの動画に字幕を付けるサービス「字幕.in」をリリース。最高で1日200万PV近くに達する[5]等、ネット界隈で一躍話題となった。自身の制作スタイルについて、ITmediaによるインタビュー記事では「発作的に作るんです」「新サービスはたいてい、深夜に思いつき、明け方までに作り上げてしまう」[2]と述べている。実装までの速度が非常に速い一方、放置や閉鎖されたサービスも散見されており、知人である西村博之は「思いついたものを実装する速度はすごい。そして、実装したものを諦める速度もすごい。んで、自分で作ったものを忘れる速度もすごい」[6]と評している。 2007年5月24日にはGMO Venture Partners株式会社から2%の出資を受け「字幕in株式会社」を設立、代表取締役に就任する[7]。字幕.inは元来、視聴の際に生じる広告費を収益源としていたが、法人としてはBtoBをメインに据えており、最初の案件は字幕.inのシステムを利用した「映画『ミス・ポター』の字幕付けコンクール」(神田外語グループ主催)というものであった[8]。なお、企業化しても矢野自身はほとんど出社せず、出ても週に1回、ミーティング程度だという[9] 同年10月、したらば掲示板の元運営者古川健介らと共に「株式会社ロケットスタート」(ロケ☆スタ、後のSupership株式会社)を新たに設立。矢野を含め、単独作業を好む“一匹狼”のクリエイターが集っており、「あくまで自分の作業をしながら、誰かのサービスを勝手にサポートしていく」、緩やかな業務方針を掲げていた。こちらはオフィスで顔を合わせることすら無く、大抵のやり取りはSkype上で済ませるとした[10]。 その後、矢野は両社を退社し、再び無職となる。2012年6月6日、投稿内容をパブリックドメインとして公開する掲示板「おーぷん2ちゃんねる」を開設。自身が管理・運営を行っている。 予告.in→詳細は「予告.in」を参照
2008年6月12日、ネット上の犯行予告を集約するサイト「予告.in」を公開した。ネット上の犯行予告を自動収集するほか、犯行予告情報を投稿する掲示板や警視庁匿名通報フォームなど通報先をまとめたリンク集、犯行予告に関する情報をまとめるWikiも設置している。 秋葉原通り魔事件を受け、増田寛也総務相が「来年度予算の概算要求に、ネット上の犯行予告を検知できるソフトの開発費を盛り込む。費用は数億円かかる」という旨の発言をしたことに対し、矢野は「自分ならお金と時間をかけずに開発できる」と考え、急遽サイトを構築するに至ったという[11][12]。着手から完成までの時間は2時間だった[1]。 人物・逸話
出演
脚注
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