矢代藤一
矢代 藤一(やしろ とういち、1892年(明治25年)1月5日[1] - 1966年(昭和41年)11月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍主計中将。 経歴1892年(明治25年)に東京府で生まれた[1]。陸軍経理学校第8期主計候補生として1914年(大正3年)5月21日に卒業した[2][3]。1937年(昭和12年)11月1日に陸軍主計大佐進級と同時に第6師団経理部長(第11軍)に着任して日中戦争に出動した[1][4]。1939年(昭和14年)3月に関東軍司令部附となり[4]、1940年(昭和15年)8月に駐蒙軍経理部長に就任した[4]。 1941年(昭和16年)3月1日に陸軍主計少将に進級し[4]、11月6日に北部軍経理部長に着任[1]。1943年(昭和18年)2月に組織改組により北方軍経理部長となり[5]、1944年(昭和19年)3月10日に第5方面軍経理部長に就任し[1]、10月26日に陸軍主計中将に進級[4]。1945年(昭和20年)2月10日から北部軍管区経理部長を兼任し[6]、終戦を迎えた。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[7]。 脚注
参考文献
|