県村 (鳥取県)
県村[1][2](あがたそん)は、鳥取県会見郡(のち西伯郡、現・米子市)にかつて存在した村である。 地理郡の中部にあり、大高、春日、五千石、大幡の4村、日野郡の八郷、日吉の2村に連る[3]。日野川の下流平野の一端に位置する[4]。 大字
歴史沿革1889年から1957年の村の名称である[5]。はじめは会見郡、1896年からは西伯郡に所属する[5]。河岡村、福万村、石州府村及び日下村の区域をもって、県村が発足する[5]。旧村の名称を継承した4大字を編成する[5]。 敗戦後は「共産村あがた」として知られる[6]。1957年1月1日、県村及び大高村が合併して、伯仙町が発足する[7]。県村の4大字は伯仙町の大字に継承する[5]。 事件1922年7月、日野八郷村川堤の堰を守護する八郷村民と、それを奪って水を引こうとする県村大字日下村民とが大山山麓の河原の上で数百名入り乱れて大乱闘を起こし、殺人事件が発生した[8]。日下村の船田貞次郎は頭に投石をうけ、昏倒し八郷村側の数名に棍棒や鍬で殴殺された[8]。 経済産業重要産物は米、麦、繭、牛、馬[1]。1930年に刊行された『市町村治績録 改訂第2版』によると農産239.287円、林産14.492円、畜産4.965円である[2]。工産6.776円[2]。1950年度の資料によると、面積8.22方キロ、828町歩、耕地250町歩、その内田170町歩、畑80町歩、山林原野350町歩、田の二毛作率50%で、水稲反収2.5石、裏作の大麦1.2石、畑作は麦桑蔬菜等[4]。畜産の中心は和牛で、飼育頭数200、飼育者138人[4]。 『大日本篤農家名鑑』によると、篤農家は中本、松本などがいた[9]。 地主地主は高田、山崎、中本、松本、大前、野坂、影山などがいた[注 1]。 行政村長
助役収入役人口1891年の戸数281、人口1391[5]。1930年に刊行された『市町村治績録 改訂第2版』によると戸数323、人口1665[2]。1950年の世帯数388、人口2193[5]。 地域施設
出身人物
脚注注釈出典
参考文献
関連項目 |
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