省略三段論法

省略三段論法(しょうりゃくさんだんろんぽう、ギリシャ語ἐνθύμημα, enthýmema, 英語:enthymeme, エンテュメーマ)は、三段論法の前提が省略されていたり、他の語句に含意されたりしている演繹推論[1]暗示推論法[1]省略推理法説得推論[2]想到法[2]とも訳される。もともとはアリストテレスが『弁論術』で定義した修辞学の手法であり、説得を目的としたものである[3]論理学的には不完全であり、誤謬詭弁の余地を潜ませやすい。より広義には三段論法より不完全な形式の主張を指すこともある[4]

省略三段論法の各部

例えば「ソクラテスは人間なので死を免れない。」という一文は三段論法として以下のように分析できる。

  • 全ての人間は死を免れない。(大前提)
  • ソクラテスは人間である。(小前提)
  • ゆえに、ソクラテスは死を免れない。(結論)

しかしここでは、小前提と結論のみが述べられ、大前提は推定されるもの、つまり暗黙の前提として省略されている。

次に「指紋が一致しないのだから、被告は無罪となるべきだ。」という一文を考える。

  • 指紋が一致するならば被告は有罪となるべき。(大前提)
  • 指紋は被告のものではない。(小前提)
  • ゆえに、被告は無罪となるべきである。(結論)

ここでも大前提は述べられず、小前提と結論のみが述べられているが、これは論述(論証)として不完全である。なぜなら、必ずしも指紋のみが犯人を指し示す証拠とは言えず、語られていない大前提に疑念点が生じうるからである。しかし、語られていないがゆえに、その前提の妥当性をチェックするプロセスが薄れる。

また、独立した命題でなくとも前提が含意され省略されているものもある。修辞学者の佐藤信夫大岡昇平の『武蔵野夫人』を例に説明する(下線は佐藤による引用のまま)。

おはまはあらゆる母親と同じく息子の異性に対する心の動きに敏感であった。これは彼女の妻としての生活が、さういふ動きを抑へることにある結果である。 — 大岡昇平武蔵野夫人

この「あらゆる母親と同じく」には、“あらゆる母親は、息子の異性に対する心の動きに敏感である”という大前提が潜んでいる。また、小前提“おはまは母親である”も、独立した命題として与えられているわけではなく、ストーリーから理解されると同時に、「あらゆる母親と同じく」に含意されてもいる。そして大前提に相当する部分を除いた「おはまは(略)息子の異性に対する心の動きに敏感であった」が結論にあたる。 — 佐藤信夫『レトリック事典』「4-1-1-2:暗示推論法」[1]

指紋の例のように、省略された前提は、推論の中の疑わしいあるいは誤謬的な前提を曖昧にする効果的な方法でもある。一般的に、前提の誤謬(間違った前提に基づく誤謬。たとえば人身攻撃Two wrongs make a right)は省略三段論法を招く。

ユーモアに使われる省略三段論法

省略された前提のその攻撃性・そのばかばかしさが情況にとってびっくりするようなものである時、省略三段論法はユーモラスな技法となりうる。

ところで私はわが候補者を知らないし、会ったこともない。だからこそ私は他の誰よりも彼の良さを語るのにふさわしい。 — ウィル・ロジャース

広告に使われる省略三段論法

広告主たちは、自分たちが示すイメージとそれを売りたくて作ったことの関連を述べることはめったにない。赤いスポーツカーのボンネットの上でゆったりと体を伸ばす美女と、車それ自体の価値の間に論理的な繋がりはないが、広告主たちはそれがあるという前提をほのめかす。もし広告主たちが率直に「車を買いなさい、そうすればあなたはすばらしい性的な満足を得るでしょう」と言ってしまったら、それは前提としてあっさり拒絶されることだろう。

また、広告主たちは自分たちの製品で楽しんでいる人々の例を示すこともする。広告主たちは視聴者がその製品を購入しなければ、そのような楽しみを受けられないという、省略された前提を実際に述べることはしない。

脚注

  1. ^ a b c 佐藤信夫 2006, pp. 614–616, 「4-1-1-2:暗示推論法」.
  2. ^ a b 『論証のレトリック』文庫版解説|ちくま学芸文庫|納富 信留|webちくま”. webちくま. 2020年9月17日閲覧。
  3. ^ アリストテレス『弁論術』1355a、他
  4. ^ Audi, R. (ed.), The Cambridge Dictionary of Philosophy - 2nd ed., pp. 257, 267. Cambridge University Press, 1999.

参考文献

  • 浅野楢英『論証のレトリック』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2018年(原著初出1996年 講談社現代新書)。ISBN 978-4480098603 納富信留 解説)
  • 佐藤信夫 (2006), レトリック事典, 大修館書店, ISBN 978-4469012781 

外部リンク