盧彦勳
盧 彦勳(ルー・イェンスン、英語表記:Yen-Hsun Lu、1983年8月14日 - )は、台湾・桃園県出身の男子プロテニス選手。 台湾のテニス選手として初めてシングルスランキングトップ100位内に入った選手である。身長180cm、体重74kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ATPツアーでシングルス優勝はないが、ダブルスで3勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス33位、ダブルス86位。 選手経歴ジュニア時代ジュニア時代にシングルス最高位3位、世界スーパージュニアテニス選手権大会シングルス準優勝などの記録を残してきた盧は2001年にプロ入り。同年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップチャイニーズタイペイ代表選手に選ばれる。 2004年 アテネ五輪初出場2004年でのウィンブルドン選手権の前哨戦として知られるクイーンズ・クラブ選手権の2回戦で当時世界ランキング3位のギリェルモ・コリアを6-2, 6-4のストレートで破った事により注目を浴びるようになる。同年にはアテネオリンピックのチャイニーズタイペイ代表選手としてシングルス部門に初出場したが、1回戦でヤルコ・ニエミネンに敗れている。 2005年 ツアーダブル初優勝2005年にはダブルスでも顕著な記録を残し、年初の大会として知られるチェンナイ・オープンにおいてライナー・シュットラーと組んで出場したダブルスの決勝でマヘシュ・ブパシ/ヨナス・ビョルクマン組を下しATPツアーのダブルス初優勝。続く全豪オープンでは鈴木貴男とのペアでダブルス部門に出場。3回戦進出の記録を残した。その後ツアーレベルでは暫く1、2回戦敗退が続いていたが、ツアー下部のチャレンジャーシリーズで着実にランキングを上昇させた。 2008年 北京五輪3回戦進出2度目のオリンピック出場となった2008年北京五輪では1回戦で第6シード、当時世界ランキング6位のアンディ・マリーをストレートで下す番狂わせを演じ、ユルゲン・メルツァーとの3回戦まで進出した。 2010年 ウィンブルドンベスト82010年ウィンブルドンでは4回戦でアンディ・ロディックを4-6, 7-6(3), 7-6(4), 6-7(5), 9-7で破り、台湾人初のベスト8進出を果たした。準々決勝ではノバク・ジョコビッチに3-6, 2-6, 2-6で敗れた。 2012年 ツアーダブルス2勝目2012年7月のロンドン五輪で3度目のオリンピックに出場したが、1回戦でチュニジアのマレク・ジャジリに6-7(12), 6-4, 3-6で敗れた。9月のタイ・オープンではダナイ・ウドムチョクと組んだダブルスで決勝に進出。エリック・ブトラック/ポール・ハンリー組を6-3, 6-4で破り7年ぶりのダブルス2勝目を挙げた。 2014年 アジア競技大会銀メダル2014年2月のハイネケン・オープンで準決勝で世界ランク3位のダビド・フェレールを6-4, 7-6(4)で破り、初のシングルス決勝に進出した。決勝ではジョン・イズナーに6–7(4), 6–7(7)で敗れ初優勝を逃した。また8月のシンシナティ・マスターズの2回戦で世界ランク5位のトマーシュ・ベルディヒを3-6, 6-3, 6-4で破り、3回戦まで進出した。 9月には仁川アジア競技大会に出場した。そのために当初エントリーしていたチャイナ・オープンを欠場することとなったが、この欠場に対しATPは盧に対し罰金と3年間の出場停止処分を受けることになると警告した[1]。結局盧はアジア競技大会に出場し、シングルスの決勝に進出したが、西岡良仁に2-6, 2-6で敗れ、銀メダルを獲得した。アジア競技大会出場に対して盧は罰金処分を受けたが、出場停止処分はなかった[2]。 2015年 ツアーダブル3勝目2015年1月のチェンナイ・オープンでジョナサン・マレーと組み、決勝でレイベン・クラーセン/リーンダー・パエスに勝利し、ダブルス3勝目を挙げた。 ATPツアー決勝進出結果シングルス: 1回 (0勝1敗)
ダブルス: 6回 (3勝3敗)
シングルス成績
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
※: 2013年全仏2回戦の不戦敗は通算成績に含まない 大会最高成績
脚注
外部リンク |
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