的矢かき的矢かき(まとやかき、英語:Matoya Oyster)は、三重県志摩市の的矢湾で生産されるカキである。2001年(平成13年)に三重ブランドに認定された。 歴史![]() 的矢かきの誕生的矢地区でカキの養殖を始めたのは、水産学者佐藤忠勇である[1]。1927年(昭和2年)、佐藤は真珠養殖筏に付着して成長するカキを偶然発見し、養殖に乗り出す。翌1928年(昭和3年)には的矢では当時の他の産地よりカキの生育が早く養殖に適することが分かり、商業化に踏み切った。この時、佐藤は「垂下式養殖法」を確立[注 1]し、「産地直送方式」を採用した。 養殖法の普及と戦時増産当時、垂下式養殖法は画期的であったため、全国にこの養殖法が伝播し、1935年(昭和10年)頃には供給過剰となってカキの価格が大暴落した。しかし、的矢かきは産地直送方式であったため、市場価格の影響を受けずに済むこととなった。 第二次世界大戦中は食糧増産の意味もあり、真珠の養殖が抑制された一方、カキの養殖は奨励された。このため、的矢かきの生産高も増加した。 清浄かき戦後は一転して真珠養殖が奨励されるようになり、カキの養殖高は減少した。これにはアメリカ軍が「日本のカキは不衛生だから、食べないように」と指示を出したことによるという。この言葉を聞いた佐藤は再び奮起し、生でも安心して食べられる「無菌かき」作りの研究を開始する。1945年(昭和20年)、紫外線で殺菌した海水を利用したカキの浄化法を考案、1955年(昭和30年)に「オゾン・紫外線併用殺菌海水装置」の特許を取得した[2]。この技術は的矢かきのブランド力を一層高め、欧米にも知られることとなった。 2001年(平成13年)、三重県の地域ブランド・三重ブランドの第1号認定の際に松阪牛・伊勢えび・真珠・あわびなどの産品と共に的矢かきも認定され[2]、2008年(平成20年)に更新されている。認定事業者は後述する佐藤養殖場1社のみである。 佐藤養殖場![]() ![]() 有限会社佐藤養殖場は的矢かきを生産・販売する唯一の業者で、本社所在地は三重県志摩市磯部町的矢889である。紫外線殺菌海水による浄化技術を確立し、「清浄的矢かき」として販売している。志摩市営的矢駐車場(旧三重交通的矢バス停)の近くに本社兼養殖場がある。地元の志摩市立的矢小学校(2016年廃校[3][4])の児童を総合的な学習の時間の一環として行われる体験学習で受け入れていた[5]。 同社は長らく佐藤忠勇とゆかりのある人物が経営陣を務めてきたが、3季連続のカキ大量死やコロナ禍による需要減の影響で経営危機に見舞われたため、2021年(令和3年)に湾内の別の養殖業者を社長に迎え、鳥羽磯部漁業協同組合的矢支所の元理事を役員に迎えるなどして、体制を改めた[6]。7割が死滅したが、2021年シーズンは80万個の出荷を予定している[6]。 2022年(令和4年)1月26日には、養殖場の敷地内に的矢かき料理や海鮮バーベキューなどを提供する「的矢かきテラス」を開業した[7]。日本国の事業再構築補助金を活用し、約8000万円をかけて倉庫を改装し、テラス席を有する店舗を設け、運営のためにアルバイトを含む20人を新規雇用した[7]。2024年(令和6年)には、日本記念日協会に申請し、佐藤忠勇の命日である4月1日を「的矢かきの日」と定めた[8]。 県道47号を挟んで向かい側に設置されている的矢湾養蠣研究所(まとやわんようれいけんきゅうじょ、公式英名:Matoya Oyster Research Labortory)は、佐藤忠勇がカキ養殖の研究のため1930年(昭和5年)に設立した私設研究機関で、国際連合のIPFC公認研究機関[9]である。三重大学では志摩市と協力して的矢湾養蠣研究所の資料・写真のデジタルアーカイブ化を進めており、2023年(令和5年)11月からその一部をパネルにして、志摩市内で巡回展示している[10] 生産・流通技術
生産量以下の表のデータは『磯部町史 上巻』による。
※参考 生産暦味等の評価脚注注釈
出典
参考文献
関連項目外部リンク
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