百井盛
百井 盛(ももい さかり、1903年〈明治36年〉2月5日[1] - 2015年〈平成27年〉7月5日)は、日本の教育者、長寿者(スーパーセンテナリアン)。埼玉県さいたま市中央区在住[2]。2014年6月8日以降死去するまで男性長寿世界一となっていた。 来歴福島県相馬郡石神村(現、南相馬市)出身[3]。福島師範学校卒業後、1924年に東京帝国大学農学部へ入学。1927年に同大学、同学部(専門課程:農芸化学)卒業。同年、咸鏡北道公立新義州高等普通学校に化学教諭として赴任。1948年から1951年まで福島県立塙高等学校(現、福島県立塙工業高等学校)の初代校長、1953年から1959年まで埼玉県立与野高等学校の第5代校長を務めた[4][5][6]。東白川農業高校塙分校の主事だった頃には、塙分校が廃校の危機に立たされたものの、百井が知事、国会議員、福島県の教育長に掛け合い、新設校として存続させた[7]。 1955年頃より埼玉県で暮らし、90歳ごろまで喫煙していた。2003年より東京都内の療養型病院で生活していた[8][9]。 妻は2001年に死去し、2015年時点には6人の子のうち3人が亡くなっていた。当時84歳の長男と66歳の三男がおり、身の回りのことは三男が行っていた。刺し身、煮魚などを好み、読書を趣味とし、「四書五経」など中国の古典に精通し、書道も得意であった。98歳までは駅の階段を上り下りするなど、毎日体を動かしていた。 長寿記録2011年9月時点で埼玉県の男性最高齢であった[10]。 2013年7月23日、五十嵐丈吉の死去に伴い、110歳168日で日本の国内最高齢男性となる(厚生労働省発表)[11]。2013年9月の敬老の日に行われたインタビューでは、「あと2年くらい生きたい」と答えている[5]。2014年8月20日、存命男性のうちの世界最高齢者としてギネス世界記録に認定され、認定証を受け取った[12]。同日、さいたま市市長の清水勇人も訪れ、祝い状と花束を贈った[2]。
脚注
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