白川恵翔
白川 恵翔(しらかわ けいしょう、2001年6月4日 - )は、徳島県三好郡東みよし町出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴プロ入り前小学3年生で野球を始め[1]、「江南パワーズ」に所属した[2]。美馬市立江原中学校では、軟式野球部だった[3]。中学野球引退後、強肩を見込んだ教頭の勧めでジャベリックスローに取り組み[1]、ジュニアオリンピック陸上競技大会では同競技で71m32を記録し優勝した[1][4]。 徳島県立池田高等学校で野球部に所属した父の影響で、同校に進学した[1]。1年夏から公式戦に登板し、2年時には背番号1を付け、球速も最速140km/hを記録するも、秋の県大会後に腰椎分離症が発覚する[1]。リハビリの傍ら投球フォーム修正に取り組み、夏の徳島大会では146km/hを記録するも、準決勝では徳島県立富岡西高等学校に敗れ敗退した[1]。体格や雰囲気から、池田高校OBの水野雄仁になぞらえ「阿波の金太郎2世」とも呼ばれた[3][2]。 プロ志望届を提出するも同年のドラフト会議では指名漏れ、四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスに特別合格で入団[5][6]。背番号は19。 四国IL・徳島時代1年目の2020年は12試合に登板し、防御率2.79を記録した[7]。 2021年は開幕投手に抜擢されるも、高知ファイティングドッグスの藤井皓哉との投げ合いで敗戦、その後も結果は残せず防御率5点台でシーズンを終えた[8]。 2022年、4月22日の福岡ソフトバンクホークス三軍との交流戦で調整中だった柳田悠岐と対戦し、全球ストレートで2打席凡退に抑えるなど手応えを掴み、最終的に22試合に登板し7勝2敗、防御率1.83を記録した[9]。 2023年3月25日、自身2度目の開幕投手を務め、勝利を挙げた[10]。オープン戦では自己最速の150km/hを記録したうえ、シーズン中にはさらに154km/hに伸ばした[8]。また同年の奪三振率は10.99で、リーグ1位であった[11]。 2024年3月30日、2年連続で開幕投手となり勝利を挙げた[12]。 SSG時代2024年5月22日、KBOリーグ・SSGランダースは、主力の外国人先発投手であったロエニス・エリアスが負傷により6週間以上の離脱となったことを受け、同年よりKBOリーグに新設された「負傷代替外国人選手[注 1]」の制度により、白川を獲得することを発表。6週間の期限付き移籍となり、報酬は180万円、背番号は43[13][14]。なお白川は同制度による適用第1号選手となったほか、KBOリーグでは門倉健(元SKワイバーンズ・サムスンライオンズ)以来13年ぶり、NPB経験のない選手では森一馬(元ロッテ・ジャイアンツ)以来21年ぶりの外国人枠の日本人選手となった[注 2][16][17]。 6月1日、高尺スカイドームでのキウム・ヒーローズ戦に先発投手として初登板し、5回無失点で初勝利を挙げた[18]。NPB未経験の日本人選手がKBOリーグで勝利投手となるのは初めて[19]。2度目の登板となった同月7日のロッテ・ジャイアンツ戦では1回2/3で8失点と打ち込まれたものの、その後は大崩れせず27日までに5試合に先発し2勝2敗の成績を残した[20]。7月2日、SSGは当初予定通り6週間でのエリアスの復帰と白川との契約終了を決定したと発表[21]、白川は翌3日にウェイバー公示された[22]。 斗山時代2024年7月10日、負傷によりブランドン・ワデルが離脱した斗山ベアーズに、SSG時代同様負傷代替外国人選手として移籍した[23][24]。背番号は11[25]。契約額は400万円となった[26]。8月20日に契約が満了したものの、ワデルの復帰が遅れていることから、15日間・140万円で契約を延長した[27]。インセンティブを含めた場合、契約額は約200万円となる[28]。しかし、移籍後の8月23日のハンファ・イーグルス戦に登板した後に右肘の痛みを訴え、8月27日、出場選手登録が抹消され[29]、9月4日、契約が終了し[29]、9月5日、ウェーバー公示され、9月12日、自由契約選手となった。 徳島復帰2024年9月20日、期限付き移籍終了となり徳島に復帰したことが公示された[30]。同日発表されたリーグチャンピオンシップ出場選手に含まれている[31]。 人物2024年に徳島に在籍した韓国出身の張賢眞(登録名「ヒョンジン」)とは交友を結び、同年オフの2024 WBSCプレミア12決勝戦をともに観戦した[32]。 詳細情報年度別投手成績
独立リーグでの投手成績
背番号
脚注注釈出典
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