町資将
町 資将(まち すけまさ)は、戦国時代の公卿。町家4代当主。高辻章長の次男。官位は正三位・権中納言。 経歴初名は資雄(すけかつ)。早くから既に死去していた外祖父・町広光の嗣子として高辻家より養子に入る予定があったためか、高辻家の通し字である「長」が名前に用いられていない。 天文11年(1542年)閏3月13日、正四位となる。同13年2月24日、参議に補任され、続いて同年3月19日、従三位に叙せられる。同年から翌年にかけて豊前国及び薩摩国に下向している[1]。 天文15年(1546年)1月に正三位となり、3月には権中納言に任じられていたが、天文18年(1549年)になって突如「逐電」した事が『公卿補任』に記されている。 弘治元年(1555年)になって滞在先の伯耆国で死去、子・将光(まさみつ)も柳原家を継いだため町家は断絶、絶家となった。 官歴系譜脚注
参考文献
外部リンク
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