王念孫
王 念孫(おう ねんそん、乾隆9年3月13日(1744年4月25日) - 道光12年1月24日(1832年2月25日))は、中国清代の学者。字は懐祖。号は石臞先生。江蘇省揚州府高郵州の出身。吏部尚書王安国の子であり、王引之の父でもある。 経歴乾隆36年(1766年)の会試に向かう途中で読んだ江永『古韻標準』によって音韻訓詁に関心を抱く。乾隆40年(1775年)の進士であり、庶吉士となる。永定河道の長官となり、名声が高かった。のちに官職を辞して郷里に帰り、汪中・劉台拱・程瑤田などと交友を結ぶ。ふたたび朝廷に召されて工部主事となり、治水工事に貢献した。嘉慶15年(1810年)に引退して以後学問に専念し、89歳で没する。 学術業績戴震を師とし、段玉裁・李惇・賈田祖・汪中・劉台拱・程瑤田を友とし、清朝学術の正統派といわれ、特に音韻訓詁を深く考究し、爾雅・説文に長じていた。古韻を分けて21部とし、古書伝書の誤りを正した。特に『管子』・『墨子』・『淮南子』などの諸本を初めて読める形で復元し、古代中国思想の研究に重要な役割を果たした。 著作
参考
脚注
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