玉谷峰男
玉谷 峰男(たまや みねお、1951年2月2日 - )は、北海道出身の元騎手。 来歴1976年3月に栗東・玉谷敬治厩舎からデビューし、同20日の阪神第4競走障害5歳以上未勝利・ホリタヒーロー(7頭中3着)で初騎乗[1]を果たす。7月24日の小倉第4競走障害4歳以上未勝利・スガクサで初勝利[1]を挙げ、1年目の同年は2勝[2]をマーク。 2年目の1977年には7月17日の小倉第4競走4歳未勝利・メイワソロナで平地初勝利[3]、12月17日・18日の阪神で初の2日連続勝利[3]を挙げるなど7勝[2]をマーク。 1979年にはサンライズシチーで阪神障害ステークス(春)2着[4]に入り、6月16日の札幌では初の1日2勝[3]を挙げるなど、自身唯一の2桁勝利となる12勝[2]をマーク。 1983年からはフリーとなり、日高育成牧場で育った抽せん馬[5]ドミナスローズの主戦騎手として、同年のデビューから1987年の引退まで全32戦に騎乗[6]。 1984年にはエルフィンステークスでダイアナソロンの2着、報知杯4歳牝馬特別3着、グレード制導入後最初のGIとなった桜花賞は7着に終わり、8月函館の巴賞ではヤマノシラギクに勝利[6]。 1985年には阪急杯で桜花賞馬シャダイソフィアの2着[6]に入り、1986年には京都牝馬特別で人馬共に唯一の重賞勝利[6] [7]を挙げた。 1987年には阪神3歳ステークスでヒロノオスカーに騎乗し6着に終わったが、メジロワース・ミスターシクレノンには先着した[8]。 1988年にはミスジュニヤスでラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス3着[9]に入り、1989年7月30日の小倉第1競走3歳未勝利・クイックロウランで最後の勝利[7]を挙げ、1990年2月25日の阪神第2競走4歳未勝利・キンモクセイ(13頭中5着)を最後に引退[10]。 騎手成績
脚注
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