献公 (単)
献公(けんこう)は、春秋時代の単の君主。姓は姫、氏は単、名は蔑[1]。 生涯儋季(周の簡王の子)の子の儋括は王子貴(後の景王、当時太子晋(王子喬)は討死)ではなく王子佞夫を王にしようとした[1]。 魯の襄公三十年(紀元前543年)五月癸巳、周の霊王の崩御後、尹の尹言多・劉の定公・単の献公・甘の甘過・鞏の簡公は儋括を支持した王子佞夫を殺した[1]。書曰く「天王(景王)は弟の佞夫を殺した」。 魯の昭公七年(紀元前535年)、単の献公は身近な者を捨てて、他国の者を重用した[2]。冬十月辛酉、単の襄公・頃公の族人が献公を殺し、成公を擁立した[2]。 脚注
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