牧口 義矩(まきぐち よしのり、旧字体:牧口 義矩󠄁、1876年12月12日[1] - 1957年4月1日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。
経歴
新潟県[2]刈羽郡荒浜村[3](現柏崎市荒浜)で、回船業牧口義方の長男として生まれた[4]。慶應義塾で学ぶ。荒浜村長、刈羽郡会議員、同参事会員、同議長、同教育会長、直江津米穀取引所理事長、柏崎銀行取締役を務めた[2]。
1912年の第11回衆議院議員総選挙において新潟県郡部から立憲国民党公認でで立候補したが落選した[5]。1917年の第13回衆議院議員総選挙では憲政会公認で立候補して当選した[6]。1920年の第14回衆議院議員総選挙では新潟9区から立候補して再選[7]。衆議院議員を2期務め、1924年の第15回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1957年に死去した。
親族
脚注
- ^ 衆議院『第三十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1917年、7頁。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』584頁。
- ^ 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』409頁。
- ^ 『人事興信録 第4版』ま78頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』53頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』61頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』66頁。
- ^ 「小磯國昭」『大衆人事録 昭和3年版』帝国秘密探偵社、1927年、コ之部1頁。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。