市島徳治郎8代[1]市島 徳治郎(市島 徳次郎[1]、いちじま[2]/いちしま[3] とくじろう、1847年6月6日(弘化4年4月23日[1]) - 1917年(大正6年)2月26日[2])は、明治時代の地主、政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。族籍は新潟県平民[1]。幼名は千吉、のち宗輔と称した[3]。第四国立銀行設立者。 経歴越後国蒲原郡天王新田(新潟県北蒲原郡天王新田、天王村、中浦村、福島村、豊浦村、豊浦町を経て現新発田市)出身[3]。1871年(明治4年)以降、新潟県第二十二大区小八区天王新田用掛、同県第二十二大区長、天王村長を歴任する[2]。第四銀行の発起人に名を連ね、1874年(明治7年)初代頭取に就任した[3]。 また、新潟県下第一の大地主であり[1]、1890年(明治23年)には新潟県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[4]から1897年(明治30年)9月28日まで在任した[2]。その後は新潟銀行や新潟水電などの取締役を務めた[1]。 市島家→「市島邸」を参照
系譜
脚注参考文献
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