火の馬
『火の馬』(ひのうま)は、1964年にソ連・ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国で製作された映画である。原題は『忘れられた祖先の影』(ウクライナ語: «Тіні забутих предків» チーニ・ザブートィフ・プレードキウ)で、ミハイロ・コチュビンスキーによる同名の小説『忘れられた祖先の影』を原作とし、フツーリシュチナを舞台に一途な恋愛の末の悲劇を描く。 監督はセルゲイ・パラジャーノフ、脚本はパラジャーノフとイヴァン・チェンデイ、主演はイヴァーン・ムィコライチュークとラルィーサ・カードチュヌィコヴァ。キエフのO・P・ドウジェーンコ記念キエフ映画スタジオで製作された。 概要『火の馬』は、ミハイロ・コチュビンスキーの生誕100年を記念して製作された。原作に沿って全編がウクライナ語で製作されたが、ソ連全国での公開のため、ポスターなどではロシア語の題名«Тени забытых предков»も使用された。フィルム上では、クレジットタイトルを含めロシア語は一切登場しない。 原作者のミハイロ・コチュビンスキーは、ロシア帝国併合下でウクライナ文化が弾圧された時代にウクライナ文学の復興に努めた作家であった。コツュブィーンシクィイは、1864年に中部ウクライナ西部の都市ヴィーンヌィツャ近郊の村の貧しい事務員の一家に生まれ、若くして一家を支える労苦を重ねた。当時ウクライナで盛んになっていた社会主義活動に参加し、活動家集団のひとつ「人民の意志」に加担した咎で1882年には投獄された。その後、文学活動を始め、ウクライナのフォークロアや下層階級の人々の暮らし、ウクライナの伝統文化に眼を向けるようになった。最初の作品は、オーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあり比較的ウクライナ語出版物が許されていた西ウクライナのハルィチナーで出版された。1911年には、代表作となる『忘れられた祖先の影』(ここでの「影」は複数形である)を物した。晩年はマクシム・ゴーリキイらと親交を深めるなどしたが、生来の病弱により1913年、長年暮らした中部ウクライナ北部の都市チェルニーヒウにて没した。 そのミハイロ・コチュビンスキーの生誕100年となる1964年、ソ連の映画監督であったセルゲイ・パラジャーノフは『忘れられた祖先の影』を自身の初の長編映画とすることを決意した。完成した映画は、色彩に溢れた情熱的な映像描写と独自の構成とで観るものに強い印象を与えた。パラジャーノフは、劇中で西ウクライナの山岳民族の生活と風習をややエキゾチックに描き、入念に構成された映像の中に亡き恋人への思いに憑り依かれた主人公の悲劇を焼き付けた。主人公の悲嘆に暮れる時期にはモノクロームの映像が用いられ、それ以外のシーンではカラーフィルムが使用された。カラーシーンでは、鮮やかなコントラストをなす赤と黄の極彩色が特に好んで用いられた。極彩色は、運命に対する情熱と苦悶の下に横たわる悟解・観念を表しているとされた。映像中では、ソ連時代には公には禁止されていたにも拘らず宗教色や民族色が強調され、十字架やキリスト教の典礼風景、キリスト教墓地、信者たち、そして土着の宗教色の強い儀式の風景や風習、精霊たちが描かれた。 『火の馬』はその卓越した映像からいくつかの国際映画祭で賞を獲得し、パラジャーノフの名を世界に知らしめることとなった。『火の馬』の革新性は、1925年の革命的ソ連映画『戦艦ポチョムキン』と比べられた。しかし、本国ソ連ではこの映画はソ連社会の目指した社会主義リアリズムに適合しないとして強い批判を受け、パラジャーノフは映像の再編集を求められた。そして、これを拒んだがためにパラジャーノフはその後ソ連の映画界から排除されていくこととなった。パラジャーノフの次回作『キエフのフレスコ壁画』は1965年に製作中止に追い込まれ、パラジャーノフは母国アルメニアに戻って映画製作を続けることになる。 キャスト※クレジット順
あらすじ西ウクライナ南部のカルパチア山地・チョルノホーラでは、山岳民族フツル人が昔ながらの生活を続けていた。あるフツル人の村では、パリイチュークとフテニュークという二つの家が反目しあっていた。両家は積年の怨念に加え、山で事故死したパリイチュークの息子の葬儀中に起きた決闘でパリイチュークがフテニュークの斧で殺されたことで、その対立はいよいよ決定的なものとなった。パリイチュークは死の直前、真っ赤な火となった馬が天目掛けて翔けて行くのを見た。パリイチュークの妻は、フテニュークの羊が皆死に絶えるよう、呪いの言葉をかけた。 こうした大人たちの対立にも拘らず、パリイチューク家に残された最後の息子となったイヴァーン(イワンコ)は、決闘の日に出会って以来敵の家の娘マリーチュカと親しくなっていった。やがて成長した二人は恋に落ち、末を誓い合った。マリーチュカはイヴァーンの子供を身籠った。フテニュークは裕福な家系で貧しい村人から妬まれており、パリイチューク家と親しい村人は挙ってマリーチュカを嘲弄した。だが、イヴァーンを信じるマリーチュカにとって、そうしたことは耐えられることであった。二人は短いながらも幸せな逢瀬を重ねた。 貧しい家系のイヴァーンは、結婚を前に出稼ぎに行かざるを得なかった。しかし、互いを信じ合う二人は少しも絶望はしなかった。イヴァーンは山の羊飼いの家に住み込みで働き、一方、村に残ったマリーチュカも自家の羊を養った。二人は片時も相手のことを忘れず、星を眺めては互いのことを思い出しあった。 月日は飛ぶように過ぎた。ある日、いつものように羊を追っていたマリーチュカは、はぐれて崖に迷い込んだ羊の子を救おうとして足を踏み外し、絶壁から急流へと転落した。村人の必死の捜索にも拘らず、マリーチュカは見つからなかった。騒ぎを聞きつけたイヴァーンも駆けつけたが、舟で川を下ったイヴァーンが見たものは、岸に打ち上げられ息絶えたマリーチュカの姿であった。 マリーチュカは、発見された岸の近くの崖の上に埋葬された。墓には、簡素な木の枝の十字架が立てられた。それ以来、イヴァーンの落ちぶれ方は誰しもが我が目を疑うほどであった。パリイチューク家はいよいよ没落し、たった一人の母も不幸のうちに没した。数年の間、イヴァーンは乞食同然の生活を送った。村人はある者は陰口をたたき、ある者は彼を哀れんだ。親しくなった羊飼いの仲間たちも、イヴァーンを助けることはできなかった。マリーチュカなしでは、彼に幸せが訪れようもなかった。しかし、彼の生は続いた。 村人たちは、イヴァーンが立ち直ることのできるよう新しい花嫁を探した。パラーフナという娘は、イヴァーンと親しくなり彼のことを愛していた。二人は、イヴァーンが馬に蹄鉄を打ちつけているときに出逢った。村人たちの勧めにより二人は結婚し、一見幸せそうな日々が訪れた。だが、イヴァーンの心には死んだマリーチュカの姿しかないことをパラーフナは知っていた。パラーフナは子供が授かるよう祈り、イヴァーンの心が自分に向かってくれるよう願った。だが、その願いは儚かった。二人の家には、夜な夜なマリーチュカの霊が訪ねて来るようになった。パラーフナは悲しみから村のユールコという魔術師と親しくなり、やがて公然と浮気を行うようになった。だが、イヴァーンは彼女のそんな振る舞いにも気づかない様子であった。 しかし、ある日ユールコが皆の前でパラーフナと親しげに振舞った挙句イヴァーンの友人を傷つけたことから、ついにユールコとイヴァーンは決闘となった。イヴァーンは、手斧でユールコを倒そうとしたが、逆にユールコの斧によって額を傷つけられた。精神の混乱したイヴァーンの眼に映ったのは、マリーチュカの墓の十字架であった。イヴァーンは優しいマリーチュカの転落した崖へ、森の中をルサールカ(マフカ)となった彼女の霊に導かれていった。イヴァーンは叫びを残し、川面へと転落していった。 イヴァーンの葬式の日、彼の友人や彼を婚礼へ送り出した老婆たちは悲しみに沈んだ。パラーフナは、悲しみに浸ることもできず、またさして晴れ晴れしい気持ちにもなれず、その夜を過ごした。イヴァーンは結局、死してなお彼女を向くことはなかったのである。 受賞
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